人生はB級ホラーだ。

良い作家さんになりたい鳥谷綾斗のホラー映画中心で元気な感想ブログ。(引っ越しました)

映画/十二人の怒れる男(1957年版)

新年あけましておめでとうございます。

すっかりホラーとBLの映画の話しかしない偏りブログと化しておりました。無念。
今年はもっといろんな映画その他を摂取したいと思っておりますので、お付き合いくださいますと幸いです。

ですが主張したいことはいつでもひとつ。真実のようにいつもひとつ。

( ・ω・)<ホラーはいいぞ。

 

さて2021年一発目は、密室劇・リーガルドラマの金字塔、
十二人の怒れる男(1957年版)』の話をします。

レンタルで観ました。
どれだけ配信が発展し、自分の生活と密接になっても、レンタルビデオ屋さんに行った時のワクワク感、触れて選べる楽しさは失いたくないなぁ、と思うもののひとつです。

1957年制作、アメリカの密室劇型リーガルドラマです。

 

十二人の怒れる男(字幕版)

十二人の怒れる男(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 


※全力ネタバレです。


【あらすじ】
とあるスラム街に住む18歳の少年が、父親殺しの罪に問われた。陪審員に選ばれた12人の男に、少年の行く末は任される。
会議が終わる条件は評決一致。
しかし、少年が『有罪』か『無罪』が投票で問うたところ、たった一人、少年の無罪を主張する男がいた。

 

【ひとこと感想】
本当に罪を犯したのかどうかは、この物語に限っては重要ではなかった。

 

【3つのポイント】
①白黒なのに情報が多い。
②理路整然と、重箱の隅をつく。
③最後の『有罪』派が見たもの。

 

【①白黒なのに情報が多い】
白黒映画は不慣れな身で、ちゃんと集中できるかなと不安でしたが杞憂でした。
思ったより情報が多い。登場人物が着ているシャツのシミで「暑い」が伝わってきて、籠もった空気の重さも感じます。
偏見ダメだな、と反省自省。

 

【②理路整然と、重箱の隅をつく】
爽快だったのが、少年が有罪とされた証拠の数々を、唯一無罪を主張する陪審員8番の男、『建築家』がひとつずつ崩していく展開です。

①凶器のナイフは本当に1本しかないのか?
(凶器と同じナイフを取り出し、ダンッと音を立ててテーブルに突き刺す場面。メリハリが効いてました)

②目撃者と証言者の言葉が、本当に信用に足るのか?
(状況をよく洗うと……ってやつです。この辺りを追求しなかった少年の弁護士、ガチで職務怠慢で怖い)

鉄壁の要塞のごとく積み上げられた証拠が、ひとつずつ崩れていく。
それに伴い、陪審員たちが少年の無罪に傾いていく展開は「おお……」と唸りました。

特に印象的な台詞をふたつ。
頑なに有罪意見に固執していた男(たぶん3番の『会社経営者』)が言った、

「あの耄碌じいさんに何が分かる!」

 

この『耄碌じいさん』は証言者のことです。
売り言葉に買い言葉で、証拠とする証言者を「信用ならない」と言い切る……少々語弊がありますが、スカッとしました。

さらにもうひとつ。
有罪派が、滔々と反論し続ける『建築家』につかみかかった場面。

「離せ、殺してやる」
「殺す気はないだろ?」

 

これもスカッと(概念)しました。
少年を有罪とする証拠のひとつに、『父親に「殺してやる」と言ったこと』が挙げられていた。
「殺すと告げること」と「殺す」はまったく違うのだと人類皆忘れがちなんですよね。

 

【③最後の有罪派が見たもの】
とうとう3番・『会社経営者』が最後の有罪派になりました。
彼は意見を譲らず、デッドヒートして感情を吐露します。

「ドラ息子め、この親不孝が!」

 

理性ではなく『感情』を、です。この直後、彼は「not guilty」と言葉を落とします。

この時、『会社経営者』は何を見たのだろうか。
自分の中にあるものに気づいたのだろうか。

スラム街に住む人間への偏見。
何より、自らの息子への不満、呪う(不満や憎しみや悔しさや悲しみをごちゃ混ぜにして恨むに近い感情)気持ち。

まったくの赤の他人である少年に、それを重ねていた……そんな自分自身を見つけたのでは、と思いました。

 

【まとめ:ずっと勘違いしていた】
この物語の主題は、犯行の真実を追い求めることではなかった。

少年が殺人犯かどうかよりも、真っ当に裁判は行われていたかどうか。
それを追い求める作品でした。

『弁護士になるには』(資料にめっちゃ便利なシリーズ)で読んだ一文を思い出しました。
以下引用です。(一部変えてます)

裁判官は神ではない。
法律と証拠によって、「(その事実)があったと推認できる」と判断するほかない。

 

ですが印象としては、数の暴力で始まり、数の暴力で終わった気もします。

何が正しいのか。真実はどこにあるのか。
そんなモヤッとした気分を少し残しつつ、雨上がりの空が最後に映ったのが、なにやらとても心に残りました。


というわけで一発目から重めのドラマでした。
また裁判の傍聴に行きたいなぁと思います。なんやかんやで去年は一度も行っていない。(仕方ない)

映画/窮鼠はチーズの夢を見る

( ・ω・)<メリクリです。

本日はクリスマスなので、それにふさわしいラブストーリーをひとつ。
映画館で観てきました。

www.phantom-film.com


2020年制作、BL漫画が原作の15禁のヒューマンドラマです。

( ・ω・)<…15禁でいいのかアレ。

【あらすじ】
自他ともに認める、「誘われたら流されちゃう」系サラリーマン・恭一。
ある日恭一の元に、妻から浮気調査を依頼されたかつての後輩・今ヶ瀬が現れる。
ゲイの彼はずっと恭一を愛していた。
浮気の事実を握り潰す代わりに、今ヶ瀬は恭一自身を求める。

 

【ひとこと感想】
BLを期待して観に行くと大火傷するけど、最後まで観ればちゃんとBLだった。

 

【3つのポイント】
①ラブシーンがびびるほど多い。
②『同性と愛を営む=ドブで生きる』なのか?
③最後にあるのはささやかな、けれど無視できない『変化』。

 

【①ラブシーンがびびるほど多い】

( ゜Д゜)<15禁て乳首と尻見えていいの?

のっけからぶっとんだ所感で失礼します。
いやでもまーーーー『ラブシーン』が多い。恭一は男女ともにやりすぎである。体力すごいな???
『リップ音』も『濡れたような水音』も『肉と肉が打ち合う音』もバンバン出てくる。
私の座席の数列前に高校生くらいの方々がいたのですが、無駄に心配になりました。
嫌悪感を覚えるものもあれば、ドキドキするもの、幸せそうなもの、苦しそうなもの。バリエーションすごいなと勉強になります。

勉強になる反面、私の中の繊細な乙女心が「男女の絡み〜〜(辟易)」みたいな拒否反応を起こしたわけで。
思った以上にがっつり描写されているので、「ヒャッハーBLだァ!」という方は注意が必要です。
(でも最近のBL、結構男女の絡みあるよねー)

 

【②『同性と愛を営む=ドブで生きる』なのか?】
押し掛け女房と化した今ヶ瀬に、どんどこ懐柔されていく恭一。
原作にもありましたが、『生活するだけ』なら、男(同性)同士のほうが圧倒的に楽なんですよね。
無駄に気を遣わなくていい、性別――脳構造の違いによる齟齬がほぼ無い、気が楽で、何より気が合う。

けれどそれは、あくまで、ふたりきりの部屋の中でだけでした。

部屋の外に出れば、恭一は今ヶ瀬と肩すら組めません。

あの(どう考えても普通のサラリーマンの一人暮らしには見えないインスタ映え待ったなしのオシャレな)部屋は、ふたりにとって、鳥籠のような揺り籠のような……シェルターにも似た、『現実』とはかけ離れた場所なんだろう。

そんな現実感のない部屋だったからこそ、ラスト、現実を見つめて独りで今ヶ瀬を待つ恭一の姿がうまく填まったんだと思います。

 

【③最後にあるのはささやかな、でも無視できない『変化』】
クライマックス近くで、恭一がハッテンしまくってるゲイバーに行く場面がありました。
男と男がナチュラルに睦み合う場所に、恭一は全身全霊全力で拒否りました。

だというのに。
その場面の後、彼は今ヶ瀬とさも当然かのように寝たのです。

(あまりにもナチュラル過ぎてびびった)
(一瞬、「何してんだコイツ???」って思いましたが)
(即思いつきました)

これはアレです。一昔前のBL漫画で801回見た表現です。
曰く、

「男が好きなんじゃない、おまえが好きなんだ!」ってやつです。

そう。恭一にとって今ヶ瀬だけが特別なんです。
男でも(いや男だからこそ?)恭一は今ヶ瀬と寝れるのです。抱くのも抱かれるのも抵抗感どころか求める。
と考えると、確かにしっかりまったりがっちりBLだなこの映画――って思いました。

しかし恭一が変化したというに、『猫』は逃げ出しました。
怖いからです。何が、って訳ではないのでしょうが。
ですが『恋の神様』はそれを許しません。
今ヶ瀬は恭一をいっときでも忘れようと他の男と寝ますが、無理でした。
今まではそれでうまく誤魔化して、凌いでいたのだろうけど、

無理でした。

もう無理になってしまったのです。
恭一から、この世でもっとも好きな人から、『与えられる』ことがあると知ってしまったから。

地獄ですね。
今ヶ瀬は苦しそうに泣きますが、でも、自分には『幸せ』に見えました。良いも悪いも正も誤もない、『恋愛』という業が見えた。

 

【まとめ:原作ファンとしての意見】
令和の世になっても天国か地獄かの二択の『漫画の実写化』。

原作は、『永遠の愛』というものがどこにもなさ過ぎて、逆に『永遠の愛』を期待して探し求めてしまいそうになる物語でした。
ですが映画を見て、「日々の積み重ねこそ永遠の愛になるのでは」と感じました。
それだけで花丸ってなものです。

あとは、恭一の頼りなさが失せて攻め攻めしさやべーな、とか。
(余談ですが、私の中の恭一さんは田中圭さんでした。あの方、ナチュラルろくでなしモテモテ男似合いすぎだろう)

今ヶ瀬の可愛さやべーな、とか。

女性たちの扱いがたまきちゃん以外ザツいな、とか。

(原作の単行本おまけの夏樹先輩と今ヶ瀬の1頁漫画の見たかった……)

(いい男だったのに下らない女になっちまって……って嘆く場面。めっちゃ笑いました)

いや今ヶ瀬ほんとに可愛いな??? とか。

お気に入りは映画観ながらポテチ食べる場面です。
ああいうシークエンスの積み重ねが、永遠の愛に繋がるんだろう、としみじみ。

そして『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』に引き続き、成田凌さんが輝いていた。
本当に輝いていた。

成田凌さんの今後のご活躍を期待申し上げます。

映画/タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら

アマプラで観たホラー映画シリーズです。

 

 



※全力ネタバレです。

【あらすじ】
仲間と山にキャンプに来た、大学生のアリソン。
仲間たちが『ハッパ』を楽しむ道中、アリソンたちは見るからに怪しげな2人組の大男・タッカーとデイルに出くわす。
男たちは、山奥にある廃墟同然の山小屋に入っていく。その手にはチェーンソーや鎌があった。

【ひとこと感想】
ホラー映画版・おっさんずラブ。(出オチ系)


【3つのポイント】
①プチ斬新な発想。~予告でバラしてる~
②地味に台詞が良い。
③この映画が伝えるメッセージ #とは


【①プチ斬新な発想。~予告でバラしてる~】
大学生たちのキャンプは、楽しいものになるはずだった。
大柄で怪しい容貌の男たち・タッカーとデイルに出会うまでは。

買い出しに入った商店。値踏みするような目で、奇妙に歪んだ笑みで片割れの男――デイルに尋ねられる。
「山奥にキャンプに行くのか?」
手に持った巨大な鎌を光らせて……。

メンバーの一人・チャドが、キャンプ地にまつわる、実際に起きた事件の話をする。
サイコ殺人鬼が大学生たちを次々と惨殺したのだ。不安を抱きつつも、夜、湖で泳ぐ。
するとアリソンは、こちらを凝視するあの男たちに気づき、足を滑らせて川に落下する。

目覚めたら、古びたキャビン。
パニックになるアリソンの前に、デイルが現れる。
この見るからに恐ろしげな男に自分は何をされるのか――と思う中、デイルが口を開く。

「パンケーキだよ。嫌なら他のを作ろう」

 

デイル「(;゜0゜)💦」
アリソン「Σ(꒪⌓꒪)⁉︎」

予告のリンク予告でモロバレなんですけど、あえて引っ張りました。
一見、サイコ殺人鬼みあふれるタッカーとデイル(ちなみに字幕ではデール)は、単なるメイドイン田舎のおっさんずだった。

『ホラー映画あるある』をふんだんに盛り込んで、カウンターパンチを喰らわすような本作は、ココからが本題。
見るも爆笑、ではなく、見るも無惨な珍騒動が始まります。


【②地味に台詞が良い】
完全にタッカーとデイルを、そこらのホラー映画でおなじみの『山奥に棲むサイコ殺人鬼』だと思い込んだ大学生一行。
なんでやねん、って感じですが、原因はアレな葉っぱですね。やっぱりダメゼッタイ。

2回目の視聴ですが、前項に書いた「パンケーキ~」のセリフはすごく良いな、と思います。

「先に好みを訊くべきだった。バカな俺(><)」
と続くのも良い。
この短いセリフで、観客と何よりアリソンに、デイル――この悪党面した男がどんな人間が伝わります。
あと単純に可愛い。⸜( ´ ꒳ ` )⸝✩︎⡱


【③この映画が伝えるメッセージ #とは】
デイルがアリソンに、ボロボロの山小屋を見上げて告げるセリフ、

 

「ここは俺らが欲しかった夢の別荘だ」

 

初見時では気づきませんでしたが、すごーくテーマと繋がったセリフだったんだな、と。

山奥の荒れ果てたキャビン。中はボロボロで、謎の動物の骨が飾られ、壁にはびっしりと殺人事件の新聞記事。
どう見てもホラー映画によくあるサイコパス殺人鬼の隠れ家ですあざっした、ってなものですが、それ自体が思い込み、大学生たちと変わりない偏見だったのです。
デイルの言うとおり、前の持ち主はニュース好きの考古学者だったのかもしれない。

そう、見た目で判断してはいけない。
一見、殺人鬼からヒロインを守りそうな見た目の青年こそ、父子二代で殺人鬼やってるエリート殺人鬼だった。

見た目で判断してはいけないな……とプチ反省した、のですが。
ここからがこの映画の面白い点、なんとまあ、映画のラストで田舎の粗野なオッサンが都会ガールを襲いました。

見た目どおりやないかーい、と思いきやハッと気づきました。

( ・⌓・)<都会人だろうが田舎者だろうが、クズはクズ!!!

これこそがこの映画のメッセージではないのか、と!


【まとめ:「おっさんずラブやないかーい」】
今作のメインは、ふたりの友情、特にタッカーのデイルへの親愛と献身です。
あいつまじいいやつすぎる。幸せになってくれ。

謎のラッキースケベもあり、見事なおっさんず友愛(ラヴと読む)でした。

しかしお気に入りの場面は、各種の死に様です。

・すってんころりんしてウッドチップを作る機械にダイヴ。
・走ってたら木の枝にグサー。

特にウッドチップ、ヤバかったです。一瞬なので見逃し注意。
ガガガガガガガガと音を立てて人間が血と臓物振りまいて細切れにされ、明らか大丈夫じゃないのに、ついつい訊いてしまう「ユアオッケイ!!?」。

何ひとつ大丈夫じゃねえわ。(笑)

そんな感じのブラックユーモアたっぷりの本作。秋の夜長に、気の合う友人とzoomしながら観たい1本です。

映画/都市伝説セピア

アマプラで観たホラー映画シリーズです。

都市伝説セピア



※全力ネタバレです。


【あらすじ】
都会、田舎、ある芸術家の屋敷で繰り広げられる、セピア色のオムニバスホラー。


【ひとこと感想】
子どもの頃に覗いた気がする、ノスタルジックホラー。

オムニバスなので、1話ずつ簡単レビューで。
(3話だけ長いです)


【1話:フクロウ男】
自分が創り出した怪人に化けた青年。
自らが生んだ『フクロウ男』を守るうちに、彼は……

怪異が誕生するプロセスの話でした。
『みじめな孤独』というものを前面に出して、なるほどこうして生まれるのか……と理屈でなく納得してしまった。
最後の「ホウ、ホウ……」の鳴き声はひどく寂しげ。

「もう幻想はいらなかった」

 


彼自身が幻想になってしまったけど、それでも根幹にある孤独感は永遠に埋まらないのだろうな、と。


【2話:アイスマン
家族や学校とうまくいかず、田舎の親戚の家に身を寄せた男子高校生。
祭りの夜、少女に導かれ、見世物小屋で『河童』を目にする。

謎が多く、特に何も明かされません。
ですが、この物語に限ってはそれが良い。
明かされないからこそ主人公は大人になっても『少女』と『河童』を忘れられなかったわけで。

あと少女の言動が重い。
この年で求める愛が重すぎる――と思いましたが、少女はもしかしたら不老で、実際はもっと永く生きているのかもしれない。


【3話:死者恋】
死者の絵ばかり描く女性画家に会いに行く女性ルポライター
死者の絵を描く始まりは、『公彦』という夭折した美青年、その姿が描かれた本だった。

いわゆる会話劇でした。
ひたすら流れるBGM、過去を語る口調、全体的に演劇っぽかったです。

内容よりも『死者の絵』が怖い。
グロくないけど灰色でリアル。
『太陽の光を知らない』という表現が出てきましたが、本当にそんな感じ。

妙にセクシーな場面もありますが、これ身とか蓋とか取っ払っちまいますと、

推し(公彦)を基準にして人生を決めた厄介オタの話でした。


①その推しがこの世にもういないってのがミソ。
(死は幻想ともっとも相性の良いアクセサリーなので)
②しかし、その推しはクズい性犯罪者だった。
(現実を突きつけるようで大変よい真相だと思います)


ポイントはこのふたつですね。
『推し』という概念の一例が、よく描かれています。

たとえ現実は性犯罪者でも、公彦という美青年に夢を見ていたかった3人の『女』。
彼女らは真実を知っても、公彦への執着心を失わず、

ひとりは「芸術に殉死した薄幸の美青年・公彦」と美化した本を書き、

ひとりは「公彦と血の繋がった子ども」を産み、公彦として育て、

ひとりは「公彦にインスパイアされた絵」を描き続け……

といった具合に、3人の女は推し基準で人生を決めてます。

( ・ω・)<スゲーなオイ。

つまり、本物の『公彦』はあまり重要ではないのです。
クズだろうと外道だろうと、関係ないのです。

これこそ推しの概念。
本人(現実)ではなく幻想(自身の願望)を見ることを選ぶ――地味に恐ろしい話です。

正直に言って、気持ちは分からんでもないです。
狂わなければやってられない。
だってそうでもしなければ、自分が愛し、人生の基準に置いた男は『ただのクズ』だったと認めることになる。

そうなったら、彼の幻影を追って聖地巡礼(オタ用語)したことや、お墓に発情までした自分はどうなってしまうのか。

『自己の崩壊』が怖くて、執着し続けるんだろうなぁと思いました。

ところでこの公彦、荒木宏文さんでびっくりしました。

( ・ω・)<刀ミュのにっかりさん!道理で美しいと思った。(小並感)


【まとめ:そこはかとない悲哀】
フクロウ男はどうしても埋まらない空虚を、
アイスマンは過去に囚われ続ける寂しさを、
死者恋はなんとも物悲しくなる人の愚かさを、それぞれ感じました。

たまにはこんなホラーも良いものです。

映画/ハッピー・デス・デイ 2U

アマプラで観たホラー映画シリーズです。

2019年制作、アメリカのサスペンスでヒューマンドラマでコメディなホラー『SF』映画です。

言わずもがな、あの『ハッピー・デス・デイ』の続篇です。SF要素が足されました。
タイトル巧すぎやしません???(嫉妬を隠さないスタイル)

 

ハッピー・デス・デイ 2U (字幕版)

ハッピー・デス・デイ 2U (字幕版)

  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: Prime Video
 

 


※全力ネタバレです。

【あらすじ】
前回、自分が殺されまくる誕生日のループから抜け出したツリー。
しかし、今度は恋人であるカーターのルームメイト・ライアンが(開始7分で)殺され、タイムループしてしまう。
ライアンを助けようとしたツリーだったが――


【ひとこと感想】
ちゃんと続篇してる、やっぱりヒューマンドラマな成長系ホラー。


【3つのポイント】
①『1』のループの理由が判明!
②ツリーのさらなる成長。~自殺しながらリケジョへ~
③『1』の救済措置。~人生は選択だ~


【①『1』のループの理由が判明!】
ここまできちんと続篇しているホラー映画って珍しいんじゃないだろうか。
と、言いたくなるほどちゃんと続篇してます。

なんと『1』のタイムループの理由が明かされます。
マジかよ。たいてい放置されるのに。
(映画への愛は高いけど信頼度はそうでもない)

まさかのライアンのせいでした。
ヤツは単なるモブ――ヒロインにちょっかいをかけ、物語舞台が山奥のキャビンやクリスタルレイクなら真っ先に退場させられる役どころの男――ではなかった。
ライアンは量子学を研究する学生で、その実験のために作った量子反応炉がタイムループの原因でした。

( ・ω・)<マジかよ。

ゆえに冒頭は、ライアンが殺されてタイムループする役割です。
それを知ったツリーはライアンを助けます。
けれど件の量子反応炉が暴発して、気づいたらツリーは、カーターの部屋でスマホのアラームで起こされる18日の月曜日の朝を迎えます。

そう。
『1』で散々やった『殺される誕生日』がまた繰り返されるのです。

マジかよ。(3回目)


【②ツリーのさらなる成長。~自殺しながら理系女子に~】
観客側ですらうんざりする展開ですが、そこは当代きってのタフネスヒロイン・ツリー。
一度ブチギレて、冷静に対処します。
(この切り替え方法、見習いたい)

そうして今回のツリーは、まったくの門外漢だった量子学の勉強に励み、夜になったらポップに自殺する。
――という日々を経て、立派な理系ガールになりました。

こんなクソ忙しいタイムループがかつてあったでしょうか。たぶん無い。

( ・ω・)<やべぇ。

洗剤一気飲みと、水着スカイダイビングはめちゃんこ笑いました。

そしてこの時空、『1』とは異なり、完全なるパラレルワールドです。

①ロリがベビー・フェイスではない上に、バトラー医師と不倫している。
②恋人であるカーターが、ライバルポジの女子・ダニエルと付き合っている。
③ツリーの母親が生きている。

この設定、すごいなぁと思いました。特に③。『2』であることの意義を感じました。


【③『1』の救済措置。~人生は選択だ~】
前作のラストで壮絶な殺し合いを演じたロリに、「会いたかった」という場面が好きです。
あの不倫医者のせいで、ロリはツリーを憎み殺したけれど、こういう時空もあったのでは、と思いました。
ベビー・フェイスの魔の手から、ロリがツリーを助け、ツリーがロリを救うという展開。
胸熱です。何この少年漫画的展開。大好きです。

②と③は完全にセットです。

この時空では、ツリーのママが生きている。
元の世界で、父親との仲違いの原因となるほど大きな存在だったママが。

けれどこの時空では、カーターはダニエルと付き合っている。

母親と、愛する男。
ツリーはどちらを選ぶのか。

この葛藤は『2』のキモです。

「ママのような女性になりたい」

 

という場面では、じわっと胸に沁みました。
この言葉、『母親』という立場の人にとっては、最高の賛辞なのではないでしょうか。


【まとめ:細やかさと、てんこもりの要素をたったひとつのテーマでまとめる神業】
振り返ってみれば要素てんこもりでした。
ホラーであり、SFであり、コメディでヒューマンドラマ。
うっかりカオスになりそうなところを、たったひとつのテーマで見事にまとめ上げていました。

そのテーマとは、

『成長』です。

なので、エンドロール後の後日談は納得しました。
そういえば登場人物の中で、あの人は全然成長してない(笑)

細かい点ですが、以下も気に入ってます。

ツリーの元彼が、彼ぴを見つけていた。
(幸せになってよかったね!)

ますますツリーが好きになる、そんな仕掛けでもありました。

不満……というか気になった点は、ライアンを殺そうとした人物についてです。
その辺りの事情については完全に放置でした。

次回への布石かもしれませんな。
『3』があったら絶対に映画館に行きます!

映画/性の劇薬

ソシャディを守って、映画館で観てきました。

初めましての十三のシアターセブンさん。
いわゆるミニシアター系でした。普段でっかい映画館ばかり行くので、やや緊張……してたのですが、すごく居心地よかったです。トイレもキレイでした(超重要)

2019年制作、日本の18禁BL映画です。

  

seino-gekiyaku.com

 

18禁です。大事なので数回言います。
姉に誘われたのですが、私はこれまで18禁映画というものはホラーしか観たことなく、PVだけ観て一瞬気後れしました。

ですが、なんか新たな何かが開けそうだなという、言っちゃえば刺激を求めて行っちゃいました。

  


映画「性の劇薬」 2020年2月14日より順次公開(予告編)

 

 

【あらすじ】
四苦八苦を苦に飛び降り自殺を図った桂木。
彼を引き留めたのは、救急外科医の余田だった。
余田は桂木を昏い地下に監禁し、器具を使ってあらゆる快楽を与え続け、彼の『性』を管理する。

 

【ひとこと感想】
一歩間違えれば死ぬ劇薬を投与することでしか、彼は彼を救えなかった。

 

【見どころ】
①前半は、容赦ない快楽調教。
②後半は、ラーメンと青い空と海。
③あの『調教』は『手術』に見えた。

 

【①前半は、容赦ない快楽調教】
主人公・桂木が目覚めたら、そこは薄暗い地下室。
猥雑で、地下水がしたたり、便器だけがやけに白い、こちらにまで湿気が漂ってきそうな部屋のベッドに鎖で繋がれていた。

と書くと、完全にソリシチュ系ホラーです。ある意味同種でした。

そして現れる謎の男・攻めの余田さん。

ローションでぬるぬると光る手を使い、桂木さんの秘められた性感帯を開発していくのですが……

この一連の調教シーンが凄まじかったです。
役者さんたちの演技力がヤバくてむしろ怖い。
セックスと言うよりガチの殺し合いに近い。 

痛い。

とにかく痛い。

無いものが痛い!!

与えられているのは苦痛ではなく快楽なのに、とにかく痛そうでした。ホラーの拷問場面なんて比べ物にならない。
けれど最後まで観ると、私が感じ取った『痛み』は『作り替えられる』痛みだと分かりました。たとえるなら孵化や脱皮、えげつない成長痛。

あ、あと、ゲイシネマではなくBL映画なので、『モノ』は巧い感じに隠されてました。(これも超重要)


代わりに水音。これがひたすらエロい。
ぞわぞわと寒気が走るような、恐怖と紙一重の官能、みたいな。

( ・ω・)<私は何を観ているんだ……?

この時点で、はしゃいで観に来た自分を殴りたくなりました。

 

【②後半は、ラーメンと青い空と海】
後半になると、そんな薄暗く痛々しい画面から、一転します。

度重なる調教で、すっかり作り替えられた桂木さんの肉体。
殺すことを妄想する相手が近づくだけで勃起する、屈辱極まりない身体へ。

そして、ある意味余田さんを受け入れた夜が明けて、桂木さんは解放されます。
地下室から階段をのぼって辿り着いたのは、余田さんが勤める病院。
屋上に出て、青空の下、真っ当に話すふたり。

洗濯されたシーツが風にたなびく情景が、ひたすら爽やかでした。

 

「何食べたい? おごってやるよ」

 

昨夜まで、殺し殺されるような関係だった男からの、甘やかしタイムが始まります。
ここのラーメン(チャーハンと餃子つき)の描写がよかった。
久しぶりのマトモな食事にがっつく桂木さんを見つめる余田さんの瞳。親のような兄のような甘やかさ。

ここで「あ、これBLだ!」って安堵しました。(笑)

海沿いの墓地に来て、余田さんの過去が明かされるのですが、これ個人的にどんでん返しでした。
(私はそれまで余田さんを『医者として』桂木さんを快楽調教したのだと思ってたので)

海の中で救いを求める余田さんを、今度は桂木さんが引き留め、
(冒頭との対比がとても良い……これぞ映画、物語……)

そこに一般的な『恋情』『愛情』はあるのかは謎ですが、
お互いを受け容れようとしがみつき合うようにして、結ばれます。

この映画の最大のポイントは、桂木さんが最後まで笑顔を見せなかったことだな、と。
(無かった……はず!)

これぞ『男同士』の触れ合いだな、と。
これ『男女』なら、微笑を交わし合う場面がどこかにあると思うので。

 

 

【③あの『調教』は『手術』に見えた。】
余田さんが医者と知って、一連の『調教』が『手術』に見えました。
自ら死を選ぼうとする桂木さんを、救うための措置だな、と。

しかし、その動機を勘違いしてました。

てっきり医者として、救えなかった命が目の前で消えていくことに悲嘆して……かと思いきや。

余田さんも過去に大切な命を喪った人だった。
それ以外の命は救えたのに、いちばん大切な命は救えなかった。
最期、「めちゃくちゃに抱いてくれ」と乞われたのに叶えられなかった。

 

ここから見えていたものが一転しました。
快楽に悶える桂木さんを見つめる余田さんの瞳。
あれは、「あの時もこうしていれば」と悔やんで自責する色だったのか……。

 

あの容赦ない快楽調教は、
祈りと後悔を孕んだ痛々しい『手術』だったのか。

 

と、納得しました。

  

【まとめ】
PVを観た時点ではなんか怖そうでしたが、蓋を開けてみれば、JUNEとBLのいいとこどり的な映画でした。
JUNEのような匂い立つようなエロスと、生きるか死ぬかのボーダー、そして魂の触れ合いと救済があるけれど、BLなのでちゃんとハッピーエンド。
JUNEならこの映画は、自殺あるいは心中オチです。(断言)

自分の小説指南書のひとつに、中島梓栗本薫)先生の『小説道場』があります。
そこに何度も概念の定義として出てきた、「ヤオイとは、こういうものだ」に、この作品は当てはまる気がします。

だからこそ女性、あるいは棘のある薔薇の夢を求める人たち――少し具体的に書くと、永遠の愛や美しい魂の触れ合いを感じたい、この世界にそれらが存在すると信じたい人たち――の心を、強く震わせたのではないか。

と、思いました。まる。

ちなみにこれは私にも当てはまります。
( ・ω・)<アイアムロマンチスト。

 

しっとりと、ひとりきりで、隠れるように対話するように観てほしい1本です。

さて。

奇しくも本日、9月11日は、『窮鼠はチーズの夢を見る』の公開日です。


9月11日(金)公開/映画『窮鼠はチーズの夢を見る』90秒予告


BLというには夢を見られない、でも夢を見ていたいと思わず願ってしまう原作が、どんなロマンスを魅せてくれるかとてもとてもとても楽しみです!

映画/ハッピー・デス・ディ

アマプラで観たホラー映画シリーズです。
2017年制作、アメリカのサスペンスでヒューマンドラマでコメディなホラー映画です(ほんとにこんな感じでした!)

 

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※犯人についてネタバレがあります。

※作品の性質上、『ビッチ』という言葉が異様に出てきますが、侮辱などの意図はありません。
(というか個人的に『ビッチ』って吸血鬼とかユニコーンと同じ『幻想の生き物』扱いしてます。人間を分かりやすくカテゴライズするための属性というか概念というか)

 

【あらすじ】
イケイケ(死語)女子大生のツリー。
大学教員兼医者と不倫をし、他の男とも寝て、女友達には態度が悪い。
そんな彼女は誕生日の夜、ベビーマスクを被った人物に殺される。
だが目覚めると、誕生日の朝だった。
「殺される『今日』をくりかえしている」と気づいたツリーは、『明日』を求めて、殺人鬼を見つけ出そうとする。

 

【ひとこと感想】
ビッチヒロインを必ず好きになる爽快なホラー映画。

 

【3つの見所】
①コメディ部分:どうしても言いたくなる「○○、うしろーー!!」
②サスペンス部分:神出鬼没な犯人との攻防。
③ヒューマンドラマ部分:ツリーの成長。

 

【①コメディ部分:どうしても言いたくなる「○○、うしろーー!!」】
前半は基本的に笑えます。
中でもツリーが2回目に死ぬところが特に。
サプライズパーティーパリピとしけ込むのですが、その際、パリピはベビーマスク(大学のマスコットキャラ)を被ってました。

殺人鬼をワンナイトラヴ(※死語?)の相手と信じてチュッチュするツリー。

大音量のディスコミュージックの中、友達と「クソ女がァ」的なメッセのやりとりをするツリーの背後で、ビートに合わせてリズミカルに刺殺されるパリピ氏。
極めつけは、ベッドに押し倒されて殺されそうになっているところを第三者に発見されたのに、「おっと邪魔しちまったな☆」と去られ、「このマヌケーーーー!!」と叫んで死ぬっていう。

( ・ω・)<ツッコミ所だらけでたーのしーい!

笑えます。

 

【②サスペンス部分:神出鬼没な犯人との攻防】
ベビーマスクの動きはトリッキー系です。何せ最初の殺人で上から降ってきます。
そしてツリーも負けずにっょぃ。『スクリーム』のヒロインは終盤でやっと覚醒しましたが、彼女は2回目のループでビンタします。

3回目からは犯人を突き止めるために行動開始。

自分を恨んでそうな人物(ビッチなのでめっちゃ多い)を調べ、消去法をとりますが、「コイツ違うじゃん」と思って振り向いた瞬間に、……。

大きな物音を立てずに、驚かせてくるその姿勢。
新たなる殺人鬼・ベビーマスク。気に入ったぜ。

 

【③ヒューマンドラマ部分:ツリーの成長】
殺されまいと孤軍奮闘するツリーですが、そのたびに何度も殺されます。
途中で彼女はぶっ壊れました。何故かすっぽんぽんで校内を練り歩いたりします。

それでもループをくりかえして、ひょんなことで知り合った男子・カーターの力を借りて、試行錯誤の末、とうとうベビーマスクの正体に気づき、逆に追い詰めるのですが、

 

「このままベビーマスクを殺せば、さっき死んだカーターが永遠に戻らない」

 

ということに気づくのです。
そこからの判断は本当に早かった。ためらいなくツリーは、

 

「See you soon ass hole!」

 

とベビーマスクに宣言して、自ら飛び降り、死を選びます。

ここ本当に好きな場面です!(※大声)
さらにここからの一連の流れ、ベビーマスクに最後の反撃をするまでが本当に最高。

やっぱり『殺される』と『自殺』は違うものなのか、「一矢報いた」と手応えを感じたツリー。
ピンヒールを脱いで大学内を練り歩き、みんなに笑顔を振りまく姿が最高に可愛かったです。

(ツリーはずっとピンヒールで、少し歩きにくそうでした。3回目では恐怖で足が震え、うまく歩けていなかった。あれはもしかしたらツリーの『虚勢』のメタファーだったのかもしれない)


タイムリープ+死』の組み合わせを、成長につなげた脚本に乾杯&完敗です。

 

再確認事項→やっぱり物語って、主人公の成長ありきなんだな!

 

【まとめ:時代の流れ。~ビッチヒロインが正ヒロインに~】
古来よりホラー映画において、『ビッチキャラ』の扱いは散々なものでした。
例を出さずとも分かりましょう。

「彼女は殺される。何故なら『ビッチ』だからだ」
(※何故か英語の例文風)

これが暗黙の了解でした。
ですがこの作品はどうでしょう。まるで、

「ビッチだからって殺されていいわけあるか!」

と真っ向から反論しているかのようです。
それを私は全面的に支持します。

 

(`・ω・)<当たり前だコノヤロウ!!

(※この辺の怒りは『キャビン』にも通じますね)

(※理解しやすいように人間をカテゴライズする、一方的にレッテルを貼るというハタ迷惑行為。嫌いです)

 

【余談:この物語のもっとも怖い部分】
ツリーはどうして殺される羽目になったのか。

理由は簡単。

彼女がビッチだったからです。
(前述した『物語的な意味』ではなく)

 

男にだらしないから、男に選ばれる奔放な女だから、彼女は恨まれ殺された。
けれどツリーは成長して、反省した。そして心を入れ替えて、謝罪した。

けれど真犯人は、
それでもツリーを許さなかった。

この点がもっとも怖かったです。
反省してきちんと謝罪しても、
過去のあやまちは無かったことにならない。
無かったことになんてさせない。

 

……ツリーと犯人、対立する両方の立場を理解できたので、しんどいなーと思いました。

 

しかしオチはゴリゴリの直接対決でした。
やはり最後に物を言うのはコブシだなと思います。

 

最後まで立っていた者が勝ちで、
勝者だけが『明日』を得られるのです。

 

よい教訓を得ました。
では最後は、なるべく忘れないでおきたい、この映画のテーマで〆ます。

 

“Today is the first day is your rest of your life.”

(今日はアナタの残りの人生の、最初の日)

 

あとEDがめっちゃポップでブラックキュートなので必見です!