アマプラで観たホラー映画シリーズです。
※全力ネタバレです。
【あらすじ】
都会、田舎、ある芸術家の屋敷で繰り広げられる、セピア色のオムニバスホラー。
【ひとこと感想】
子どもの頃に覗いた気がする、ノスタルジックホラー。
オムニバスなので、1話ずつ簡単レビューで。
(3話だけ長いです)
【1話:フクロウ男】
自分が創り出した怪人に化けた青年。
自らが生んだ『フクロウ男』を守るうちに、彼は……
怪異が誕生するプロセスの話でした。
『みじめな孤独』というものを前面に出して、なるほどこうして生まれるのか……と理屈でなく納得してしまった。
最後の「ホウ、ホウ……」の鳴き声はひどく寂しげ。
「もう幻想はいらなかった」
彼自身が幻想になってしまったけど、それでも根幹にある孤独感は永遠に埋まらないのだろうな、と。
【2話:アイスマン】
家族や学校とうまくいかず、田舎の親戚の家に身を寄せた男子高校生。
祭りの夜、少女に導かれ、見世物小屋で『河童』を目にする。
謎が多く、特に何も明かされません。
ですが、この物語に限ってはそれが良い。
明かされないからこそ主人公は大人になっても『少女』と『河童』を忘れられなかったわけで。
あと少女の言動が重い。
この年で求める愛が重すぎる――と思いましたが、少女はもしかしたら不老で、実際はもっと永く生きているのかもしれない。
【3話:死者恋】
死者の絵ばかり描く女性画家に会いに行く女性ルポライター。
死者の絵を描く始まりは、『公彦』という夭折した美青年、その姿が描かれた本だった。
いわゆる会話劇でした。
ひたすら流れるBGM、過去を語る口調、全体的に演劇っぽかったです。
内容よりも『死者の絵』が怖い。
グロくないけど灰色でリアル。
『太陽の光を知らない』という表現が出てきましたが、本当にそんな感じ。
妙にセクシーな場面もありますが、これ身とか蓋とか取っ払っちまいますと、
推し(公彦)を基準にして人生を決めた厄介オタの話でした。
①その推しがこの世にもういないってのがミソ。
(死は幻想ともっとも相性の良いアクセサリーなので)
②しかし、その推しはクズい性犯罪者だった。
(現実を突きつけるようで大変よい真相だと思います)
ポイントはこのふたつですね。
『推し』という概念の一例が、よく描かれています。
たとえ現実は性犯罪者でも、公彦という美青年に夢を見ていたかった3人の『女』。
彼女らは真実を知っても、公彦への執着心を失わず、
ひとりは「芸術に殉死した薄幸の美青年・公彦」と美化した本を書き、
ひとりは「公彦と血の繋がった子ども」を産み、公彦として育て、
ひとりは「公彦にインスパイアされた絵」を描き続け……
といった具合に、3人の女は推し基準で人生を決めてます。
( ・ω・)<スゲーなオイ。
つまり、本物の『公彦』はあまり重要ではないのです。
クズだろうと外道だろうと、関係ないのです。
これこそ推しの概念。
本人(現実)ではなく幻想(自身の願望)を見ることを選ぶ――地味に恐ろしい話です。
正直に言って、気持ちは分からんでもないです。
狂わなければやってられない。
だってそうでもしなければ、自分が愛し、人生の基準に置いた男は『ただのクズ』だったと認めることになる。
そうなったら、彼の幻影を追って聖地巡礼(オタ用語)したことや、お墓に発情までした自分はどうなってしまうのか。
『自己の崩壊』が怖くて、執着し続けるんだろうなぁと思いました。
ところでこの公彦、荒木宏文さんでびっくりしました。
( ・ω・)<刀ミュのにっかりさん!道理で美しいと思った。(小並感)
【まとめ:そこはかとない悲哀】
フクロウ男はどうしても埋まらない空虚を、
アイスマンは過去に囚われ続ける寂しさを、
死者恋はなんとも物悲しくなる人の愚かさを、それぞれ感じました。
たまにはこんなホラーも良いものです。