人生はB級ホラーだ。

良い作家さんになりたい鳥谷綾斗のホラー映画中心で元気な感想ブログ。(引っ越しました)

映画/うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

ムービープラスで録画したものを観ました。
1984年製作、ループものアニメの金字塔です。

  

  

※全力ネタバレです。

 

【あらすじ】
文化祭の準備のため、ずーっと学校に泊まり続けて準備をする諸星あたるたち友引高校の面々。
変わらずドッタンバッタン大騒ぎな彼らだが、文化祭の前日に、担任・温泉マークと保健医・サクラが気づく。
自分たちは、「文化祭の前日」をずっと繰り返しているのではないか……?

 

【ひとこと感想】
もう手の届かない、夢よりも遠い世界『観』。

 

【3つのポイント】
①騒がしい、ときどき幻想的、たまに恐怖。
②2021年の今では考えられない描写たっぷり。
ラムちゃん、『蚊帳の外』状態では?

 

【①騒がしい、ときどき幻想的、たまに恐怖】
うる星やつら観るの久しぶりだったんですが、ドタバタコメディが記憶のままで懐かしさマックスでした。
遅れて登場するラムちゃんがめっちゃ可愛かった!

教室からはみ出た面堂家の戦車(この部分がもうほんとに昭和のラブコメ)大砲部分の先端にちょこんと降り立つの、めちゃんこエモ可愛い。「来たー!」って感じ。

幻想的な描写も力が入ってました。
帽子の少女、風鈴の屋台、しのぶを見下ろす青年、宙を泳ぐ魚など、印象深い。

お気に入りは風鈴の屋台です。引き手がいないのにカラカラ動く。綺麗な悪夢って感じでした。

緊張感があったのは、真相に迫る温泉マークとサクラ先生のやりとり。
じわじわ恐怖を感じたのは、家に帰ろうとするのに、袋小路にばかり行く車や友引高校の最寄り駅に戻る電車。

うる星やつらの映画』として見れば、確かに異端だな、と思います。

 

【② 2021年の今では考えられない描写たっぷり】
さてこちら、私が生まれる前の映画です。

「えっ、マジかよ」と思ったのが、連日の泊まり込みでヘロヘロになった生徒や教師が保健室に駆け込む際に、サクラ先生が、

トランキライザー

を、処方していた場面。

 

( ・⌓・)<まじで?

 
昔の学校やばいな???
そもそも、文化祭の準備のために高校生が連日学校に泊まり込む、というのは今でもありえるのか。
自分の時代は1日だけだったように記憶しています。
(大学は死ぬほど泊まったけども)

男女が同じ部屋で雑魚寝、ってのもないですし、そもそものそもそも、ここまでがっつり文化祭(校舎改造レベル)をする高校は今でもあるのか。

特にこれからは某ウィルスのせいで縮小すると予想。そう考えたら、手の届かない夢みたいに思えてしまいました。

 

【③ラムちゃん、『蚊帳の外』状態では?】
全力でネタバレします。

ループの原因は、『「ずっとこんな楽しい日々が続きますように」というラムちゃんの願いを夢邪鬼という妖が叶えていたから』でした。

つまりラムちゃんが原因なんですけど、それにしては彼女が蚊帳の外すぎた。

原因を突き止めるのはサクラ先生と面堂で、夢邪鬼と対立したのはあたる。
一瞬、不満が生まれましたが、「ああ、これが皆の願いなのか」と思い直しました。

ラムちゃんの夢は、死ぬほど身勝手です。

友引町以外を消して、文化祭の前日という当日よりもずっと楽しい時間に大好きなみんなを閉じ込める。

恋路に邪魔な女たちは消して、
私が幸せに暮らす世界の支えになれよ、と望む。

身勝手だけど、めっちゃくちゃ可愛い願望です。
恋する乙女だからそういう部分がある。恋とは残酷なのだ。

でも、そんな可愛くて醜い願望を、ラムちゃんに自覚してほしくない。

ラムちゃんが、「こんなこと望むなんて、うちはヒドイ女だったっちゃ」なんて悩む姿は見たくないわけです。

 

見たくないものは、
見なくたっていい。

(※フィクションに限っては)

 

副題の『ビューティフル・ドリーマー』はラムちゃんのことです。
それはつまり、ラムちゃんに『ビューティフルドリーマー』で在ってほしい、という男たち(※概念です。私も含みます)の願いです。

って考えると、良い副題ですなぁ。

 

【まとめ:「やり直したい」こそタイムループの源】
さて敵対する夢邪鬼、すっとぼけた見た目の割にはなかなか鬼でした。
(というか声が藤岡琢也さんで驚いた。渡鬼の初代お父さんやんか)

あたるにラムちゃんが死んじゃう夢を見せて、夢の世界の素晴らしさをダイマするのが特に。 

 

「自分の作り出す現実と違いがない、楽しい夢の世界で思いどおりに暮らす方がいい」

「何度でもくりかえせる」 

 

この言葉、2021年現在の自分には突き刺さります。
去年、「もう2020年やり直そうや……」と何百回思ったことか。
世界中の人間がそう望めば実は可能なのでは、と空想します。

すべての人間――もしくは大多数の人間が竜宮城に行けば、100年も1秒だ。
時間とは何ぞや。現実とは何ぞや。

 

( ・⌓・)<……ならば

 

この映画において、「やり直したい」ともっとも願っているのは誰だろう?
それはたぶんこの映画を作った人、そしてこの映画を大好きな人たちでしょう。

誰もが胸に抱える『あの時』に戻ってやり直す、そんな叶わないからこそ美しい夢をもたらしてくれる――そんな映画です。

映画/罪の声

映画館で観てきました。
2020年製作、日本のサスペンス映画です。

tsuminokoe.jp



※全力ネタバレです。

【あらすじ】
テーラーの曽根は、父の遺品からとあるカセットテープを見つける。
それは、昭和に起こった未解決事件ーー食品会社への脅迫事件で使われた脅迫文の録音だった。
幼い子どもの声は、曽根のものだった。
一方、文化記者の阿久津は、脅迫事件の謎を追う企画の応援に駆り出され、脅迫犯の目的は身代金ではなく、相場を操作することだったと知る。


【ひとこと感想】
実際の悲劇はひどく静かで地味なものだと思い出した。


【3つのポイント】
①全体的に、静かでリアル。
②母親という偏見と幻想。
③その浅慮さこそが罪。

 
【①全体的に、静かでリアル】

( ・⌓・)<小栗旬氏が主人公なのに切った張ったの大暴れが無い!?

と、驚くぐらい絵面は基本的に地味です。派手なバトルシーンもなく、ひたすら人に話を聞き、主役の二人が東奔西走します。
それでいて物語がちゃんと進み、真相に近づいていくので退屈しなかったです。

また、舞台が大阪なので、見たことある景色にテンションが上がりました。特に中之島

ダブル主演なのでバディものかと思いましたが、あくまで「同じ事件を追う」だけの関係性でした。
その距離感がとてもリアル。
ぶつかって対立したりもしません。微笑みを交わす程度の、細い繋がり。
けれどそこが、『大人』って感じでよかった。それぞれにそれぞれの人生や生活があるというか、暑苦しくない『人とのつながり』を感じられました。

そして松重豊さんと古舘寛治さんが可愛かった。まじ清涼剤。

 

【②母親という偏見と幻想】
当時幼児だった曽根さんに脅迫文を読ませたのは、彼の『母親』でした。

その真相を突きつけられた時、自分の中にちょっとした反発心が生まれました。

犯人の一味である男性刑事・生島が、娘と息子に脅迫文を読ませたことについては、たいして何も思わなかったのに。

この反発心の正体を少し探ってみた。ら。

( ・ω・)<あっ、これ偏見だ。

と気づきました。

作中の重要要素である、昭和に起こった過激な学生戦争。
あの苛烈な場面の中に、曽根さんの母親はいたのです。
横暴な権力で父親を奪われた彼女は、理想の世界を得るために戦っていたのです。

私の中で、戦争というものには『男性的な』イメージがあります。

けれど。

すっぽ抜けてました。
女にだって怒りがある。
衝動的な、刹那的な、「こんな汚い世界ならぶっ壊れちまえ」という破壊願望がある。

世界を憎むその気持ちが、
成人しようが結婚しようが子どもを生もうが消えることなく燻り続けた怒りが、
曽根さんの母親に、「無関係で無辜で無垢な息子に犯罪行為を手伝わせる」という愚行を犯させたのです。

これは完全に、私の中にある偏見でした。
『母親』という生き物は、何があっても子どもを己のエゴに巻き込んだりしない、子どもを優先して考えるものだという偏見、何より幻想に抱いている自分に気づきました。

曽根さんの母親の名前は真由美。
それすら私は覚えていなかったのです。(wikiった)


【③その浅慮さこそが罪】
作品が示す『悪』を表現するのが、曽根さんの伯父である曽根達雄です。

彼はもう本当にどうしようもなかった。

私が一番怒りを感じたのは彼です。
こいつ何逃げてんだ、なんでイギリスのシャレオツな古本屋で悠々と隠居してんだ、とシンプルに憤りました。

彼は確かに、夫/父親の生島のせいで反社会団体(婉曲的表現)に追われることになった妻の千代子、娘の望、息子の総一郎の三人を一度は助けました。
けれど結局、母子三人は捕まり、軟禁されてしまった。
そのせいで、路地裏で隠れるように生きる羽目になった。

曽根達雄は、『助けたその後』を確かめることなく、「彼女らは僕のおかげで助かった、幸せになったんだ」と思い込んでいたのです。

一度も確かめることなく。
これを浅慮と言わずになんと言おう。

そんな彼は、阿久津さんに真相を突きつけられ、再び姿を消しました。

なんてやつだ。
まあ暴力で手っ取り早く世の中を変えようなんて考える人に、堪え性なんかないわな……などと思いました。

どえらい辛辣ですが、生島親子のことを思うと、どうしてもそう感じてしまいます。


【まとめ:浅慮な誰かの罪の代償は、いつも弱いものが背負わされる】
巻き込まれた生島親子の人生について、きちんとじっくり描写されたのが素晴らしい。
『事件』を扱った映画は、どうしても事件そのものに焦点を当ててしまうので、あまりこういう陰に覆われてしまう部分は描写されないからです。(あっても短い)

娘の望は、軟禁場所から逃げようとしたけれど死んでしまった。
彼女には夢があった。いつか翻訳者になりたい、そのために勉強したいと、諦めない姿が描かれていました。

息子の総一郎は、周りの人間に恵まれず、曽根さんが電話しなければ自ら死ぬところだった。
本来なら、彼は逃亡者のような人生を歩まなくてもよかったのに。
その事実を突きつけられた時の、絶望の表情が突き刺さります。

せめて総一郎が母親と再会できてよかった。

「望ちゃんの声が聞きたい」

 

泣いて抱き合う母親と息子の願いを叶えたのは、あの脅迫テープだったのですが、ーーここですよここ! 小道具の使い方がうまくて泣いた。
忌々しいはずのものが、救いになる。
とても好きな手法です。

ちなみにお気に入りのシーンは、
記者会見に臨む総一郎に、曽根さんが仕立てた素敵なスーツを着せる場面です。

たぶんこれまでの人生で、彼はオーダーメイドのスーツなんて着る機会がなかったんだろうなぁ。
『着るものの魔法』を目にしたような気がします。すごく好き。

悲劇とはとても静かで、地味で、見えづらい。
だからこそ悲しいのだ……とため息をついた、そんな鑑賞後感でした。

(読後感という言葉の映画版ってないのかな)

映画/コンジアム

アマプラで観たホラー映画シリーズです。
2019年製作、韓国のPOVモキュメンタリーホラーです。

 

コンジアム(字幕版)

コンジアム(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

 

【あらすじ】
7人の若者が、動画配信を目的にとある場所を訪れた。
場所は韓国最恐の心霊スポット・『コンジアム精神病院』。
戦時中は拷問施設、戦後は精神病院となり、大勢の患者が不可解な死を遂げ、院長も失踪か自殺したというこの廃病院は、閉鎖された後も幽霊の目撃情報が絶えない。
扉を開けたら必ず死ぬ402号室を主目的にし、彼ら彼女らの闇夜は深まっていく。

 

【ひとこと感想】
巧みな『引っ張り力』が光る、暗い部屋での鑑賞推奨心霊ショー。(韻を踏んでみた)

 

【3つのポイント】
①部屋の電気を消して観てみた。
②1:10くらいまでは『アイテム』と『予感』で引っ張る。
③1:10からは電気をつけた。

 

【①部屋の電気を消して観てみた。】
ここでひとつ告白なのですが、自分はPOV=主観映像のホラーが苦手です。 

酔うのです。_(´ཀ`」 ∠)_

ガッタガタに揺れるカメラを観ていると酔うのです。
なので、たぶん集中しきれないと踏んで、電気を消して強制集中状況を作りました。
そこまでして観たかった。前情報がよかったので、万全の状態で挑みたかったのです。

結果、その判断は大当たりでした。
( ・ω・)<やったね!

 

【②1:10くらいまでは『アイテム』と『予感』で引っ張る。】
こちら、プロットは非常に単純。

 『心霊スポットに金目当てで動画配信したら呪われちゃった』系です。 

昔々、ホラー界で『愚かな若者』が向かうのは『田舎でキャンプ』がセオリーでしたが、たぶんこれからはこのパターンが新たな『お決まり』になるんでしょうなぁ。 

けれどこの映画、1時間34分あるうち、なんと1時間は大したことが起こりません。
ひたすら廃病院の探検、再生回数を稼ぐためのやらせ、ほぼほぼ心霊現象は起こらないんですが、出てくるアイテムが怖かった。
 

特に以下のふたつ。 

①精神病院の、スタッフと患者の集合写真。
(なんでそんなん撮ったん? おすましして座る院長の隣の、人形を持った男性の表情が不気味すぎた)

②胸のあたりに謎の四角い穴が空いている箱。
(ロッカーなのか棺桶なのか)

 

この小道具が、「何か恐ろしいことが起こりそう」的感情を誘発させ、心霊現象が起こっていないのに怖いという状態を生み出していました。
これはお見事。また、人物たちの『影』がよい演出でした。
でも人物たちに対する好感度はゼロなので、途中で、「コイツらとっととひどい目に遭わんかな」などと思いました。

 

【③1:10からは電気をつけた。】
1時間を過ぎた頃からやっと心霊現象です。
ミッドポイントは1時間10分。
恐怖のあまり、外に出た女子ふたりが取り憑かれるところ。

詳しくは書けませんが、

電気つけました。

 

  [⊂二⊃]
    :
    :  

    ∩  ∧_∧    
   (・ω・`)
   (          )

 

耐えきれんかった。
アレはダメだろう。画面も音声も心臓止まりかけたし夢に出るわ。

 

【まとめ:本作における心霊現象に対する所感(ツッコミ)】
ラスト20分の怒涛のように打ち寄せる心霊現象の数々に、思わず口に出してました。

「黒コンタクトやめろ! 黒コンタクトやめろ!」
「なんか内股で全裸の人いるんですけど」
「いや君ら(※動画配信の画面のサイドに、女の人が髪の毛で顔を隠した状態で椅子に座る画像があった)も動くんかい」
「襲われる瞬間って逆に怖くないよね」
「なんか後ろにいるんですけど」
「あーあの棺桶の四角い穴はそういう……ああ……」 

間違いなく怖かったです。楽しめました。
是非とも真夜中、真っ暗な部屋で、ひとりきりで観てください。

 

( ´∞`).。oO(ミステリ要素のないホラー久々だったなぁ)

映画/十二人の怒れる男(1957年版)

新年あけましておめでとうございます。

すっかりホラーとBLの映画の話しかしない偏りブログと化しておりました。無念。
今年はもっといろんな映画その他を摂取したいと思っておりますので、お付き合いくださいますと幸いです。

ですが主張したいことはいつでもひとつ。真実のようにいつもひとつ。

( ・ω・)<ホラーはいいぞ。

 

さて2021年一発目は、密室劇・リーガルドラマの金字塔、
十二人の怒れる男(1957年版)』の話をします。

レンタルで観ました。
どれだけ配信が発展し、自分の生活と密接になっても、レンタルビデオ屋さんに行った時のワクワク感、触れて選べる楽しさは失いたくないなぁ、と思うもののひとつです。

1957年制作、アメリカの密室劇型リーガルドラマです。

 

十二人の怒れる男(字幕版)

十二人の怒れる男(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 


※全力ネタバレです。


【あらすじ】
とあるスラム街に住む18歳の少年が、父親殺しの罪に問われた。陪審員に選ばれた12人の男に、少年の行く末は任される。
会議が終わる条件は評決一致。
しかし、少年が『有罪』か『無罪』が投票で問うたところ、たった一人、少年の無罪を主張する男がいた。

 

【ひとこと感想】
本当に罪を犯したのかどうかは、この物語に限っては重要ではなかった。

 

【3つのポイント】
①白黒なのに情報が多い。
②理路整然と、重箱の隅をつく。
③最後の『有罪』派が見たもの。

 

【①白黒なのに情報が多い】
白黒映画は不慣れな身で、ちゃんと集中できるかなと不安でしたが杞憂でした。
思ったより情報が多い。登場人物が着ているシャツのシミで「暑い」が伝わってきて、籠もった空気の重さも感じます。
偏見ダメだな、と反省自省。

 

【②理路整然と、重箱の隅をつく】
爽快だったのが、少年が有罪とされた証拠の数々を、唯一無罪を主張する陪審員8番の男、『建築家』がひとつずつ崩していく展開です。

①凶器のナイフは本当に1本しかないのか?
(凶器と同じナイフを取り出し、ダンッと音を立ててテーブルに突き刺す場面。メリハリが効いてました)

②目撃者と証言者の言葉が、本当に信用に足るのか?
(状況をよく洗うと……ってやつです。この辺りを追求しなかった少年の弁護士、ガチで職務怠慢で怖い)

鉄壁の要塞のごとく積み上げられた証拠が、ひとつずつ崩れていく。
それに伴い、陪審員たちが少年の無罪に傾いていく展開は「おお……」と唸りました。

特に印象的な台詞をふたつ。
頑なに有罪意見に固執していた男(たぶん3番の『会社経営者』)が言った、

「あの耄碌じいさんに何が分かる!」

 

この『耄碌じいさん』は証言者のことです。
売り言葉に買い言葉で、証拠とする証言者を「信用ならない」と言い切る……少々語弊がありますが、スカッとしました。

さらにもうひとつ。
有罪派が、滔々と反論し続ける『建築家』につかみかかった場面。

「離せ、殺してやる」
「殺す気はないだろ?」

 

これもスカッと(概念)しました。
少年を有罪とする証拠のひとつに、『父親に「殺してやる」と言ったこと』が挙げられていた。
「殺すと告げること」と「殺す」はまったく違うのだと人類皆忘れがちなんですよね。

 

【③最後の有罪派が見たもの】
とうとう3番・『会社経営者』が最後の有罪派になりました。
彼は意見を譲らず、デッドヒートして感情を吐露します。

「ドラ息子め、この親不孝が!」

 

理性ではなく『感情』を、です。この直後、彼は「not guilty」と言葉を落とします。

この時、『会社経営者』は何を見たのだろうか。
自分の中にあるものに気づいたのだろうか。

スラム街に住む人間への偏見。
何より、自らの息子への不満、呪う(不満や憎しみや悔しさや悲しみをごちゃ混ぜにして恨むに近い感情)気持ち。

まったくの赤の他人である少年に、それを重ねていた……そんな自分自身を見つけたのでは、と思いました。

 

【まとめ:ずっと勘違いしていた】
この物語の主題は、犯行の真実を追い求めることではなかった。

少年が殺人犯かどうかよりも、真っ当に裁判は行われていたかどうか。
それを追い求める作品でした。

『弁護士になるには』(資料にめっちゃ便利なシリーズ)で読んだ一文を思い出しました。
以下引用です。(一部変えてます)

裁判官は神ではない。
法律と証拠によって、「(その事実)があったと推認できる」と判断するほかない。

 

ですが印象としては、数の暴力で始まり、数の暴力で終わった気もします。

何が正しいのか。真実はどこにあるのか。
そんなモヤッとした気分を少し残しつつ、雨上がりの空が最後に映ったのが、なにやらとても心に残りました。


というわけで一発目から重めのドラマでした。
また裁判の傍聴に行きたいなぁと思います。なんやかんやで去年は一度も行っていない。(仕方ない)

映画/窮鼠はチーズの夢を見る

( ・ω・)<メリクリです。

本日はクリスマスなので、それにふさわしいラブストーリーをひとつ。
映画館で観てきました。

www.phantom-film.com


2020年制作、BL漫画が原作の15禁のヒューマンドラマです。

( ・ω・)<…15禁でいいのかアレ。

【あらすじ】
自他ともに認める、「誘われたら流されちゃう」系サラリーマン・恭一。
ある日恭一の元に、妻から浮気調査を依頼されたかつての後輩・今ヶ瀬が現れる。
ゲイの彼はずっと恭一を愛していた。
浮気の事実を握り潰す代わりに、今ヶ瀬は恭一自身を求める。

 

【ひとこと感想】
BLを期待して観に行くと大火傷するけど、最後まで観ればちゃんとBLだった。

 

【3つのポイント】
①ラブシーンがびびるほど多い。
②『同性と愛を営む=ドブで生きる』なのか?
③最後にあるのはささやかな、けれど無視できない『変化』。

 

【①ラブシーンがびびるほど多い】

( ゜Д゜)<15禁て乳首と尻見えていいの?

のっけからぶっとんだ所感で失礼します。
いやでもまーーーー『ラブシーン』が多い。恭一は男女ともにやりすぎである。体力すごいな???
『リップ音』も『濡れたような水音』も『肉と肉が打ち合う音』もバンバン出てくる。
私の座席の数列前に高校生くらいの方々がいたのですが、無駄に心配になりました。
嫌悪感を覚えるものもあれば、ドキドキするもの、幸せそうなもの、苦しそうなもの。バリエーションすごいなと勉強になります。

勉強になる反面、私の中の繊細な乙女心が「男女の絡み〜〜(辟易)」みたいな拒否反応を起こしたわけで。
思った以上にがっつり描写されているので、「ヒャッハーBLだァ!」という方は注意が必要です。
(でも最近のBL、結構男女の絡みあるよねー)

 

【②『同性と愛を営む=ドブで生きる』なのか?】
押し掛け女房と化した今ヶ瀬に、どんどこ懐柔されていく恭一。
原作にもありましたが、『生活するだけ』なら、男(同性)同士のほうが圧倒的に楽なんですよね。
無駄に気を遣わなくていい、性別――脳構造の違いによる齟齬がほぼ無い、気が楽で、何より気が合う。

けれどそれは、あくまで、ふたりきりの部屋の中でだけでした。

部屋の外に出れば、恭一は今ヶ瀬と肩すら組めません。

あの(どう考えても普通のサラリーマンの一人暮らしには見えないインスタ映え待ったなしのオシャレな)部屋は、ふたりにとって、鳥籠のような揺り籠のような……シェルターにも似た、『現実』とはかけ離れた場所なんだろう。

そんな現実感のない部屋だったからこそ、ラスト、現実を見つめて独りで今ヶ瀬を待つ恭一の姿がうまく填まったんだと思います。

 

【③最後にあるのはささやかな、でも無視できない『変化』】
クライマックス近くで、恭一がハッテンしまくってるゲイバーに行く場面がありました。
男と男がナチュラルに睦み合う場所に、恭一は全身全霊全力で拒否りました。

だというのに。
その場面の後、彼は今ヶ瀬とさも当然かのように寝たのです。

(あまりにもナチュラル過ぎてびびった)
(一瞬、「何してんだコイツ???」って思いましたが)
(即思いつきました)

これはアレです。一昔前のBL漫画で801回見た表現です。
曰く、

「男が好きなんじゃない、おまえが好きなんだ!」ってやつです。

そう。恭一にとって今ヶ瀬だけが特別なんです。
男でも(いや男だからこそ?)恭一は今ヶ瀬と寝れるのです。抱くのも抱かれるのも抵抗感どころか求める。
と考えると、確かにしっかりまったりがっちりBLだなこの映画――って思いました。

しかし恭一が変化したというに、『猫』は逃げ出しました。
怖いからです。何が、って訳ではないのでしょうが。
ですが『恋の神様』はそれを許しません。
今ヶ瀬は恭一をいっときでも忘れようと他の男と寝ますが、無理でした。
今まではそれでうまく誤魔化して、凌いでいたのだろうけど、

無理でした。

もう無理になってしまったのです。
恭一から、この世でもっとも好きな人から、『与えられる』ことがあると知ってしまったから。

地獄ですね。
今ヶ瀬は苦しそうに泣きますが、でも、自分には『幸せ』に見えました。良いも悪いも正も誤もない、『恋愛』という業が見えた。

 

【まとめ:原作ファンとしての意見】
令和の世になっても天国か地獄かの二択の『漫画の実写化』。

原作は、『永遠の愛』というものがどこにもなさ過ぎて、逆に『永遠の愛』を期待して探し求めてしまいそうになる物語でした。
ですが映画を見て、「日々の積み重ねこそ永遠の愛になるのでは」と感じました。
それだけで花丸ってなものです。

あとは、恭一の頼りなさが失せて攻め攻めしさやべーな、とか。
(余談ですが、私の中の恭一さんは田中圭さんでした。あの方、ナチュラルろくでなしモテモテ男似合いすぎだろう)

今ヶ瀬の可愛さやべーな、とか。

女性たちの扱いがたまきちゃん以外ザツいな、とか。

(原作の単行本おまけの夏樹先輩と今ヶ瀬の1頁漫画の見たかった……)

(いい男だったのに下らない女になっちまって……って嘆く場面。めっちゃ笑いました)

いや今ヶ瀬ほんとに可愛いな??? とか。

お気に入りは映画観ながらポテチ食べる場面です。
ああいうシークエンスの積み重ねが、永遠の愛に繋がるんだろう、としみじみ。

そして『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』に引き続き、成田凌さんが輝いていた。
本当に輝いていた。

成田凌さんの今後のご活躍を期待申し上げます。

映画/タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら

アマプラで観たホラー映画シリーズです。

 

 



※全力ネタバレです。

【あらすじ】
仲間と山にキャンプに来た、大学生のアリソン。
仲間たちが『ハッパ』を楽しむ道中、アリソンたちは見るからに怪しげな2人組の大男・タッカーとデイルに出くわす。
男たちは、山奥にある廃墟同然の山小屋に入っていく。その手にはチェーンソーや鎌があった。

【ひとこと感想】
ホラー映画版・おっさんずラブ。(出オチ系)


【3つのポイント】
①プチ斬新な発想。~予告でバラしてる~
②地味に台詞が良い。
③この映画が伝えるメッセージ #とは


【①プチ斬新な発想。~予告でバラしてる~】
大学生たちのキャンプは、楽しいものになるはずだった。
大柄で怪しい容貌の男たち・タッカーとデイルに出会うまでは。

買い出しに入った商店。値踏みするような目で、奇妙に歪んだ笑みで片割れの男――デイルに尋ねられる。
「山奥にキャンプに行くのか?」
手に持った巨大な鎌を光らせて……。

メンバーの一人・チャドが、キャンプ地にまつわる、実際に起きた事件の話をする。
サイコ殺人鬼が大学生たちを次々と惨殺したのだ。不安を抱きつつも、夜、湖で泳ぐ。
するとアリソンは、こちらを凝視するあの男たちに気づき、足を滑らせて川に落下する。

目覚めたら、古びたキャビン。
パニックになるアリソンの前に、デイルが現れる。
この見るからに恐ろしげな男に自分は何をされるのか――と思う中、デイルが口を開く。

「パンケーキだよ。嫌なら他のを作ろう」

 

デイル「(;゜0゜)💦」
アリソン「Σ(꒪⌓꒪)⁉︎」

予告のリンク予告でモロバレなんですけど、あえて引っ張りました。
一見、サイコ殺人鬼みあふれるタッカーとデイル(ちなみに字幕ではデール)は、単なるメイドイン田舎のおっさんずだった。

『ホラー映画あるある』をふんだんに盛り込んで、カウンターパンチを喰らわすような本作は、ココからが本題。
見るも爆笑、ではなく、見るも無惨な珍騒動が始まります。


【②地味に台詞が良い】
完全にタッカーとデイルを、そこらのホラー映画でおなじみの『山奥に棲むサイコ殺人鬼』だと思い込んだ大学生一行。
なんでやねん、って感じですが、原因はアレな葉っぱですね。やっぱりダメゼッタイ。

2回目の視聴ですが、前項に書いた「パンケーキ~」のセリフはすごく良いな、と思います。

「先に好みを訊くべきだった。バカな俺(><)」
と続くのも良い。
この短いセリフで、観客と何よりアリソンに、デイル――この悪党面した男がどんな人間が伝わります。
あと単純に可愛い。⸜( ´ ꒳ ` )⸝✩︎⡱


【③この映画が伝えるメッセージ #とは】
デイルがアリソンに、ボロボロの山小屋を見上げて告げるセリフ、

 

「ここは俺らが欲しかった夢の別荘だ」

 

初見時では気づきませんでしたが、すごーくテーマと繋がったセリフだったんだな、と。

山奥の荒れ果てたキャビン。中はボロボロで、謎の動物の骨が飾られ、壁にはびっしりと殺人事件の新聞記事。
どう見てもホラー映画によくあるサイコパス殺人鬼の隠れ家ですあざっした、ってなものですが、それ自体が思い込み、大学生たちと変わりない偏見だったのです。
デイルの言うとおり、前の持ち主はニュース好きの考古学者だったのかもしれない。

そう、見た目で判断してはいけない。
一見、殺人鬼からヒロインを守りそうな見た目の青年こそ、父子二代で殺人鬼やってるエリート殺人鬼だった。

見た目で判断してはいけないな……とプチ反省した、のですが。
ここからがこの映画の面白い点、なんとまあ、映画のラストで田舎の粗野なオッサンが都会ガールを襲いました。

見た目どおりやないかーい、と思いきやハッと気づきました。

( ・⌓・)<都会人だろうが田舎者だろうが、クズはクズ!!!

これこそがこの映画のメッセージではないのか、と!


【まとめ:「おっさんずラブやないかーい」】
今作のメインは、ふたりの友情、特にタッカーのデイルへの親愛と献身です。
あいつまじいいやつすぎる。幸せになってくれ。

謎のラッキースケベもあり、見事なおっさんず友愛(ラヴと読む)でした。

しかしお気に入りの場面は、各種の死に様です。

・すってんころりんしてウッドチップを作る機械にダイヴ。
・走ってたら木の枝にグサー。

特にウッドチップ、ヤバかったです。一瞬なので見逃し注意。
ガガガガガガガガと音を立てて人間が血と臓物振りまいて細切れにされ、明らか大丈夫じゃないのに、ついつい訊いてしまう「ユアオッケイ!!?」。

何ひとつ大丈夫じゃねえわ。(笑)

そんな感じのブラックユーモアたっぷりの本作。秋の夜長に、気の合う友人とzoomしながら観たい1本です。

映画/都市伝説セピア

アマプラで観たホラー映画シリーズです。

都市伝説セピア



※全力ネタバレです。


【あらすじ】
都会、田舎、ある芸術家の屋敷で繰り広げられる、セピア色のオムニバスホラー。


【ひとこと感想】
子どもの頃に覗いた気がする、ノスタルジックホラー。

オムニバスなので、1話ずつ簡単レビューで。
(3話だけ長いです)


【1話:フクロウ男】
自分が創り出した怪人に化けた青年。
自らが生んだ『フクロウ男』を守るうちに、彼は……

怪異が誕生するプロセスの話でした。
『みじめな孤独』というものを前面に出して、なるほどこうして生まれるのか……と理屈でなく納得してしまった。
最後の「ホウ、ホウ……」の鳴き声はひどく寂しげ。

「もう幻想はいらなかった」

 


彼自身が幻想になってしまったけど、それでも根幹にある孤独感は永遠に埋まらないのだろうな、と。


【2話:アイスマン
家族や学校とうまくいかず、田舎の親戚の家に身を寄せた男子高校生。
祭りの夜、少女に導かれ、見世物小屋で『河童』を目にする。

謎が多く、特に何も明かされません。
ですが、この物語に限ってはそれが良い。
明かされないからこそ主人公は大人になっても『少女』と『河童』を忘れられなかったわけで。

あと少女の言動が重い。
この年で求める愛が重すぎる――と思いましたが、少女はもしかしたら不老で、実際はもっと永く生きているのかもしれない。


【3話:死者恋】
死者の絵ばかり描く女性画家に会いに行く女性ルポライター
死者の絵を描く始まりは、『公彦』という夭折した美青年、その姿が描かれた本だった。

いわゆる会話劇でした。
ひたすら流れるBGM、過去を語る口調、全体的に演劇っぽかったです。

内容よりも『死者の絵』が怖い。
グロくないけど灰色でリアル。
『太陽の光を知らない』という表現が出てきましたが、本当にそんな感じ。

妙にセクシーな場面もありますが、これ身とか蓋とか取っ払っちまいますと、

推し(公彦)を基準にして人生を決めた厄介オタの話でした。


①その推しがこの世にもういないってのがミソ。
(死は幻想ともっとも相性の良いアクセサリーなので)
②しかし、その推しはクズい性犯罪者だった。
(現実を突きつけるようで大変よい真相だと思います)


ポイントはこのふたつですね。
『推し』という概念の一例が、よく描かれています。

たとえ現実は性犯罪者でも、公彦という美青年に夢を見ていたかった3人の『女』。
彼女らは真実を知っても、公彦への執着心を失わず、

ひとりは「芸術に殉死した薄幸の美青年・公彦」と美化した本を書き、

ひとりは「公彦と血の繋がった子ども」を産み、公彦として育て、

ひとりは「公彦にインスパイアされた絵」を描き続け……

といった具合に、3人の女は推し基準で人生を決めてます。

( ・ω・)<スゲーなオイ。

つまり、本物の『公彦』はあまり重要ではないのです。
クズだろうと外道だろうと、関係ないのです。

これこそ推しの概念。
本人(現実)ではなく幻想(自身の願望)を見ることを選ぶ――地味に恐ろしい話です。

正直に言って、気持ちは分からんでもないです。
狂わなければやってられない。
だってそうでもしなければ、自分が愛し、人生の基準に置いた男は『ただのクズ』だったと認めることになる。

そうなったら、彼の幻影を追って聖地巡礼(オタ用語)したことや、お墓に発情までした自分はどうなってしまうのか。

『自己の崩壊』が怖くて、執着し続けるんだろうなぁと思いました。

ところでこの公彦、荒木宏文さんでびっくりしました。

( ・ω・)<刀ミュのにっかりさん!道理で美しいと思った。(小並感)


【まとめ:そこはかとない悲哀】
フクロウ男はどうしても埋まらない空虚を、
アイスマンは過去に囚われ続ける寂しさを、
死者恋はなんとも物悲しくなる人の愚かさを、それぞれ感じました。

たまにはこんなホラーも良いものです。