アマプラで観たホラー映画です。
2021年制作、アイスランド、スウェーデン、ポーランド合作のネイチャースリラーです。
【あらすじ】
アイスランドの山間で牧羊を営む、マリアとイングヴァルの夫婦。
粛々と淡々と日々を送る彼らだが、一頭が産んだ仔羊を自宅へ連れ帰り、世話を始める。
まるで『ヒトの赤子』を溺愛して育てるように……
【ひとこと感想】
ハッピーエンドに至るまでの、愛らしい姿とグロテスクな構図の『家族の日々』。(アダは可愛い)
※全力ネタバレです。
※犬が死にます。
(人外に殺されます)
【3つのポイント】
①第1章:日常
②第2章:訪問者
③第3章:崩壊
【①第1章:日常】
『ヘレディタリー/継承』、『ミッドサマー』で有名なA24の配給の本作。
これらは、「めちゃくちゃサイレントに狂ってて侵食する恐怖がやばいんだけど、これは確実にハッピーエンドだ、うん(多少自分に言い聞かせるように)」という感想でしたが、本作も同様でした。
とにかく 静かに 、登場人物たちの暮らしが描かれていて、
けれどそれは明らかに どこかおかしくて 、
さらに美しい自然の風景が、ホラーのそれとは別種の恐怖、言うなれば 『畏怖』 を抱かさせる。
という未知の所感を味わえました。
最初は、牧羊を営むマリアとイングヴァルの日常が描かれます。犬と猫つきです。可愛い。
羊の世話をする中、ぬるっと羊の出産シーンが入ったのに少しびっくりました。
農業などに縁がない私には大イベントだと感じるけれど、彼らにとっては『普通』なのです。
そう、夫婦はずっと『普通』でした。
いつものように出産させ、けれど生まれた仔羊を見て、彼らは母羊から引き離して自宅に連れ帰った。
たらいのベッドに寝かせて、
布のおくるみで巻き、
哺乳瓶でミルクを飲ませ、
死んだ娘の名前である『アダ』を名づける。
母羊が我が子を求めて鳴いても、夫婦は返さない。
「あっち行け」と追い払う。
ここで巧いと思ったのは、アダがどんな姿なのか明かされない点。
ゆえに夫婦の行動は奇妙そのものでした。
アダは他の子羊と何が違うのか。
そこのズレが生み出す不穏さがよかった。
そして行方不明になるアダ。
野っ原でやっと見つけたマリアは、アダを抱き上げます。
ここでやっと、
頭は羊の赤ちゃん、体は人間の赤ちゃんであるアダの姿が露わになります。
ぬるっと発覚しました。
ここがすごい。普通ならカメラバーン、SEバーンで演出するだろうに。
わざとらしい演出は一切なし。とにかく静かに、衝撃的なシーンをぬるっと見せてくるのです。好き。
ていうか思ったよりアダ大きかったです。1歳くらい?
めっちゃムチムチしてて、右は蹄ですが左のもみじのお手々がぷくぷく可愛かったです。
アダを連れ帰る夫婦に、母羊は追いすがるのですが、
マリア:「来るなーーーー!!」
それまでの静寂さが嘘のような叫びでした。
怖い。
羊頭人身云々より、それを奪って、母羊を犠牲にしてまで育てる夫婦の方が怖い。
怖さの質が違う、とゾクゾクしました。
【②第2章:訪問者】
家族の暮らしは続き、アダは2歳〜3歳くらいまでに成長しました。
花冠かぶるの可愛い。愛おしそうにキスするマリアの気持ちは分かる。
分かるんですけど、マリアが母羊を殺す場面はさすがに「待って!」と思いました。
何故だ。一緒に育てるとかじゃダメなのか。
けれど思い直しました。きっとダメなんだろう。アダはマリアにとって、もう羊じゃないから。
奪い返されるかアダが恋しがる可能性もある。
せめて食べてほしい……いやそれも無理だな……
悶々と考えていると、イングヴァルの弟・ペートゥルがやってきました。
訪問者である彼は、兄夫婦の暮らしを見て、当然ながら、
ペートゥル:「あれは一体何なんだ」
よくぞ言ってくれた。
開始から54分(半分以上)経過してやっとその疑問を呈してくれました。
ですが、イングヴァルの答えが完璧すぎました。
イングヴァル:「幸せってやつさ」
この一言に、作品のすべてが詰められています。
やがてペートゥルも(一時は殺そうとしましたが)、一緒に寝るほどにアダと仲良くなりました。
【③第3章:崩壊】
アダはどんどん可愛くなります。
音楽を奏でればリズムをとったり、ペートゥルおじさんとお出かけしたり、朝ごはんのお手伝いをしてえらかったり、猫ちゃんと一緒に座ったりと可愛い。
しかしペートゥルが不義理を働き、家を出たところで事態は急変。
まず犬が死にます。
続いて、イングヴァルパパも殺されます。
頭が羊のマッチョに銃殺されました。
あまりの展開に理解が追いつきませんでした。(꒪⌓꒪)
い、犬は殺さなくていいだろ!
いや待てパパ死ぬの!?
えっ、この別れはつらいな、これはこれで幸せのひとつの形だと思い始めたところなのに!
ていうか誰この羊マッチョ!? あっ、冒頭の羊小屋に入ってきたやつか!
ってことは、アダの本当のパパか!?
ラスト15分で思考が大嵐。
最終的に、アダは実父――調べたところによるとギリシャ神話の半獣人の神・『サテュロス』と共に行きます。
夫と、『娘』を再び失ってしまったマリア。
彼女の泣き顔で、幕を閉じたのでした。
【まとめ:『これ』は幸せの物語だった】
急展開に混乱しましたが、じっくり考えるとうっすら、
( ・ω・)<これはハッピーエンドか……
という解釈が見えてきました。
イングヴァルがサテュロスに銃殺されたのは、
マリアが母羊を殺したのと同じ構図だった。
親を殺して子を奪う。因果応報だった。
サテュロスにとって、人間こそ『羊』だった。殺しても構わない存在という意味で。
平等ということか。羊も人間も実は変わらない?
あるいは、サテュロスの復讐だったのかもしれない。
あの母羊はいわゆる借り腹だったのではなく、羊小屋に入った瞬間に一目惚れをして愛を交わした妻だったのかもしれない。(※メルヘン思考)
そして、夫の遺体に泣きすがるマリアのセリフ、
マリア:「大丈夫よ。何とかなる。きっと大丈夫」
これはきっとアダのことでしょう。
イングヴァルは最期までアダを心配していたから。
「アダは大丈夫」だと亡き夫と――自分に言い聞かせ、
マリアは、アダをあきらめました。
それはそうです。
おそらくはヒトではないモノに連れて行かれた、実子どころか同じ種族ですらない生き物を、
夫を喪った一人きりの身で、探し出して実の親と対立して連れ戻すのは至難の業です。
何より、眼前に広がる山々――大自然は、独りの人間が立ち向かうには巨大すぎる。
(この説得力のためのロケーションだったのかとさえ思った)
だからマリアはあきらめた。
けれど代わりに、彼女は新しい命を身籠った。
すべてが在るべき形、正しい『家族』に戻りました。
だからこれは、確実にハッピーエンド、なのです。
血にまみれて、失ったものは大きすぎても。
……いやでもやっぱり犬は殺さなくてよかったのでは!?
( •᷄ὤ•᷅)<不服。
次回は1月30日月曜日、
2021年制作、日本のミステリホラー、
『さんかく窓の外側は夜』の話をします。
鳥谷綾斗