人生はB級ホラーだ。

良い作家さんになりたい鳥谷綾斗のホラー映画中心で元気な感想ブログ。(引っ越しました)

さまよう刃(著:東野圭吾)

JUGEMテーマ:ミステリ


愛する者を理不尽に奪われた人間には、どこにも光はないのだ。

「(前略)警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ。(後略)」


あの世で会えたら、今度こそ二人で楽しく暮らそう。もう二度と、おまえを一人きりにはしないぞ。もう二度と、おまえに怖い目を見させたりしないぞ――。





東野作品は、本当にタイトルが秀逸です。
さまよう刃』は、娘の復讐に燃え、仇を追い求める主人公・長峰のことであり、幾度も作り変えられているのに完璧にはならない、法律と警察のことでした。

さて映画化したこの作品。予告編を見て気にはなっていましたが、結果的に観ずじまいでした。DVDが出たら改めて観ようと思います。どうやらラストは違うようなので。

亡き妻の形見であり、たった一人の肉親である娘・絵摩を、少年たちによって二度殺され、奪われた長峰
謎の密告電話に導かれ、犯人の片割れである伴崎の部屋で絵摩の最期を映した残酷なビデオを目にし、憎しみのまま、帰宅してきた伴崎を殺す。
そして、もう一人の犯人、菅野を殺すために彼は逃亡しながら追跡する――。

なんかもう始終泣きっぱなしでした。
あまりにも酷くて……娘の絵摩は、一度目は強姦という形で心を、魂を、精神を殺され、二度目は覚せい剤によって殺されました。そこを映したビデオのシーンがもう本当に辛かったです。
また、別の被害者の父親も警察が押収したビデオを観て、同じように慟哭していました。

冒頭、長峰側と加害者側の描写が同時刻で進んでいたのが地味にキツかったです。
あと五分早く、彼が娘に電話をかけていれば。


伴崎の最後の言葉を頼りに、長野のペンションに行く長峰
そこで彼は、子供を不注意で喪った女性・丹沢和佳子という女性に出会います。
この出逢いが、物語に面白さと深みを持たせています。

いろいろと信じられない描写――登場人物の行動――が多かったです。
犯人たちにしても、その犯人たちに脅されながらも加担していた少年も、また被害者でありながら逃げる菅野と行動を共にしていた少女も。

私なりに考えてみました。
コレはアレだ。『喉元過ぎれば』というやつの、究極の状態なんじゃないかな。
そのときの辛かったり悲しかったりすることが、過ぎ去ってしまえば、それでいい。
じっと待っていればそれでいい。
あとはもうソレは過去。それよりもずっと大切な今がよければそれでいい。
未来なんて考えちゃいない。そもそも考えの範囲内に、無い。

彼らに足りないモノ。
道徳とか、倫理観とか、思い遣りとかじゃなくて。
想像力――だったのではないかと。
ソレが無いから、自分がやったことで相手や周囲にどんなことが起こるかわからない、どんな風に思うかわからない、未来すら見通せない――人が人である重要なファクターが、欠けていたんじゃないかな、と。

あと、加害者の親も出てきました。両方とも、『自分の子供は悪くない』の一点張りでした。
これが親というものなのでしょうか……。
我が子を信じたいのか、責任逃れなのか。判別はつきません。

少年法の目的は、『間違った道に進んでしまった子供たちを正しい道に戻すこと』らしいです。
けれど作中で言っています。『加害者が更生しても失ったものは戻らない。更生しても、被害者側はまったく嬉しくない』、と。
かと言って復讐するのが正しいのか、と言えば。
それは違う、という。

作中で、女性陣が『娘を奪われた上に、復讐したことによって人生まで破壊されるなんて理不尽だ』と言っていました。
私はそうは思いません。何もせずにいたら、きっともっと人生はバラバラになっています。
けれど私がもし、丹沢和佳子の立場なら、止めると思います。
それはその人に、如何に相手が下衆であろうとも人を殺してほしくないと思うからです。
でももし、長峰の立場なら――止めてほしくは、無い。

……のかな?


よくわかりません。
最後の密告者の答え――『その答えを探し続ける』が、やっぱりいちばん近いような気もします。