人生はB級ホラーだ。

良い作家さんになりたい鳥谷綾斗のホラー映画中心で元気な感想ブログ。(引っ越しました)

映画/降霊

ツタヤで借りたホラードラマシリーズです。
2000年製作、黒沢清監督の日本のスリラーホラーです。

 

 

 

 

【あらすじ】
純子と克彦は穏やかな夫婦生活を送っていた。
しかし純子は霊能力者で、心理学を学ぶ大学院生・早坂や、大切な人と死別した人物に請われ、降霊術をする。
少女の誘拐事件が起こる。被害者の少女は、何故か克彦の荷物から発見された。

 

【ひとこと感想】
ホラー以上に恐ろしいかもしれない、哀れで愚かで身に覚えがある人間ドラマ。

 

※全力ネタバレです。

 

【3つのポイント】
①びっくり要素のないホラー
②追求されたリアリティ
③壊れていく夫婦関係

 

【①びっくり要素のないホラー】
「ホラー映画が苦手」な方の意見で、こういうものがあります。

「突然、大きな音が出て驚かせるのが苦手(。ŏ_ŏ)」

分かります。(太文字)
自分もものごっついビビリなので、急に大きな音を出されるとキュウリを前にした猫ばりに飛び上がります。
特に効果音。『シーン……(どことなく甲高い緊張感のあるBGM)』→『ドンッ!』とかやるやつ。絶対ゆるさん。

ですがご安心ください、この『降霊』のホラー描写はそんなお化け屋敷要素はありません。

この映画の幽霊たちは、

ただ そこに いるだけ です。

 

【②追求されたリアリティ】
この映画を制作する際、黒沢清監督は、『霊能力者』の方々への丹念に取材したそうです。
その結果、この映画は幽霊描写は、霊能力者の方々に「自分が視ているモノに一番近い」と称賛されたとか。

特に有名なのが、純子が働くファミレスの一場面。

4人がけの席に陣取る、嫌な男性客(まさかの大杉漣さんじゃないすか)。
「カレー」「コーヒー」と不機嫌そうに命じる男性客の横に、赤いワンピースの女性が、さりげなく、さも当然のように座っているのです。

血も、恨み言も、見開いた目も、不気味な声もなく、
ただ横に座っているのです。

男性客が会計を済ませ出ていくと、スーーーーーーーーーと足のない姿で追いかけていきました。

死んだ少女の幽霊も、部屋の隅でただ立っているだけ。

これが本当に『もっともリアルな幽霊の姿』だとしたら、
目にした瞬間の感情は『恐怖』などではなく、

『混乱』

なのだろうな……と、少しだけ「幽霊が見えること」に対する解像度が上がりました。
(自分はホラー小説を書くのですが霊感のれの字もないので)

 

【③壊れていく夫婦関係】
そんなリアルな幽霊描写と同じくらい、心を惹かれたのはヒューマンドラマ部分。
仲睦まじく、穏やかに暮らしていた夫婦が、暗い方向へ向かっていく展開です。

あらすじにあるとおり、変質者(明らかな不審者が公園にいるのに警戒されない辺りに時代を感じます)に誘拐された女の子は、夫・克彦の荷物に紛れ込みます。

そんなことある? ってなもんですが、要は、

①克彦は、仕事で使う効果音を録音しに山に行った。
②その山には犯人のアジトがあり、逃げ出した女の子が克彦の車を発見し、機材用のアルミケースの中に逃げ込む。
(なんで克彦に助けを求めないん? と思ったけど、大人の男性が怖かったのかもしれない)
③克彦、気づかずに家に帰る。

です。「そんなことある? ……ありそう」という微妙なさじ加減が最高です。

純子の霊能力(霊媒千里眼というハイスペックさ)で女の子は発見され、なんとか生きていました。
ここからが不幸の始まり。
純子は、『誘拐された女の子を発見した霊媒師』となる自分を夢想してしまったのです。

暴走し、浅はかな計画を立てる純子と、妻に逆らえない克彦の姿を観ながら、
「とりあえず先に病院連れてってあげて!」
「いや普通に『急に女の子がいる場所が視えて、先に現場に行って発見しました』でええがな! 『警察に助言して発見させる』にこだわるの!?」
と、ずーっと叫んでました。

積極性を見せる純子は、訪ねてきた刑事に言い切ります。

 

純子:「女の子、無事に必ず帰ってきます。私にはどうもそう思えるんです」

 

家の2階にその女の子がいる状況で。
実に晴れやかに、嬉しそうな訳知り顔で。

そんなことをしているうちに、女の子は唐突に死んでしまいました。
それでも彼女は、『嘘』をやめようとしませんでした。

 

【まとめ:霊能力者でも、平凡な人間だ】
純子は何故、こんな馬鹿げたことを思いついたのか。

何故、自分自身をフィクションの中に出てくるような、『霊能力で捜査協力をする英雄』に仕立て上げようとしたのか。
哀れな女の子を犠牲にしてまで。

自己顕示欲。承認欲求。
そんな言葉で片づけるのは簡単です。

純子には何も無かったのです。
幽霊が見えて、任意の幽霊を呼び出せて憑依させて、千里眼まで持つ彼女なのに。
平凡な主婦で、ファミレスのパートさえ数日も続かず、子どももおらず、穏やかな、つまり何の刺激もない毎日を送る自分に辟易していたのです。

彼女は夫に訴えます。
「自分はこのまま、年とって終わっちゃうの?」

 

何者にもなれないまま、終わりに向かう人生。
自分の人生が無価値だった、と純子は気づき――思い込んでしまったのです。

……これは共感を通り越して、身に覚えがありすぎますね。

本当はそんなことはないのです。
歴史に名を残さなくても、ネットの検索ページに自分の名前が載らなくても、その人生に無価値なはずがない。
ですが、そういう『虚無』に近い感情に襲われ、妙に焦る瞬間は、誰しもに平等に訪れると思います。
最悪だったのは、純子のその『瞬間』が『誘拐された女の子を発見したとき』だったこと。

霊能力者と言っても、
みんな同じなんだな。
そう思いました。

純子の切ない焦燥感に対する、作品の答えがこれです。
克彦がお祓いを頼んだ神主さん(なんと哀川翔さん)の言葉。

 

神主:「平凡さを恐れないことですね」

 

純子こそこの言葉を聞くべきだった。
けれど彼女は既に、夫の言葉すら届かない……

ラストはぶつ切りで、それゆえにひどく余韻を残すものでした。

 

【余談:お気に入り場面】
何かを燃やす克彦が目にした、窓の向こうで佇む『女の子』の幽霊。

クライマックスで、足音もなく人形めいたカクカクとした動きで近づいてくる『女の子』の幽霊も捨てがたいですが。
「なんか見え方が変だな……?」と本当に首を傾げたので。
妙にハッキリしているけど、奥行きのようなものが無いと感じました。
この場面、窓に女の子の写真を貼って撮影したそうで、

( ・⌓・)<うまいことやってるぅ……

と感心しました。ブラボー、さすが世界の黒沢清

 

次回は12月13日月曜日、
2020年制作、韓国のゾンビヒューマンドラマ、
『新感染半島 ファイナル・ステージ』の話をします。

驚いたことに今年の1月に映画館で観てました。
(もう12月やで)

 

鳥谷綾斗