人生はB級ホラーだ。

良い作家さんになりたい鳥谷綾斗のホラー映画中心で元気な感想ブログ。(引っ越しました)

孤島の鬼(著・江戸川乱歩)

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 諸戸は私の傍に突っ立って、じっと私の顔を見おろしていたが、ぶっきらぼうに、
「君は美しい」
といった。

(前略)私は、気ちがいみたいに、あらゆる愛情の言葉をわめきながら、それを、その灰を、私の恋人を胃の腑の中に入れてしまったのであった。

「(前略)この世界では、君と僕とが全人類なのだ。
 ああ、僕はそれが嬉しい。君と二人でこの別世界へとじこめてくだすった神様がありがたい。(中略)悪魔の子としてこのうえ生恥を曝そうより、君と抱き合って死んで行くほうが、どれほど嬉しいか。箕浦君、地上の習慣を忘れ、地上の羞恥を棄てて、今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」




この作品は数多の出版社から幾多の形態で刊行されていますが、その中から創元推理文庫を選んだのは、ひとえに当時の連載での挿絵も掲載されているからです。
アタリでした。ドヤァ

あらすじ。
箕浦金之助は三十路前という年齢にも関わらず、老人のように髪が真っ白である。この世のものとは思えぬ恐ろしい出来事が彼の頭を塗り替えてしまった。それはかつての婚約者・木崎初代が密室で殺されたことに端を発する。調査を依頼した友人の探偵も奇妙な状況で殺され、復讐を誓う箕浦は、『異様な熱情』を彼に捧げる諸戸道雄と真相を追って和歌山の孤島を訪れる。そこには、この世のならざる異常な世界が在った。


物語は、この箕浦君が語り手となり、彼が書いた手記の体を為しています。
そのせいか、読んでいるうちにまことに奇妙な心地に陥りました。物語ではなく、手記として読んでいました。まるで本当のことであるかのように、私の意識が捉えました。感情移入越えました。

そんなわけですから、非常に『箕浦てめぇコノヤロウ』という気持ちになりましたね!(=ヮ=*)

いやだって普通にムカつくんですよ。ちょいちょい容姿自慢とモテ自慢が入るんですよ。頻繁に、分かっていてワザとやっちゃう僕って小悪魔★な描写が入るんですよ。
何が分かっているかって、もう一人の主人公である、箕浦の年上の友人・諸戸道雄が自分に同性間の恋愛感情を抱いて向けて注いで、何より捧げていることを、です。
しかも彼も満更ではないようでーーいや、そう書くと甘っちょろいな。その『満更』も『自分も諸戸さんが好き』などでは決して無く、『才気煥発な美貌の年上の青年に惚れられる自分最高』な形なのです。
そういう自己陶酔を再三舐める(無意識ではありますが)ために、箕浦は諸戸に自分に触れること、親切を尽くすことを『許して』いるのです。言っちゃえば弄んでいるのです。どうです最低でしょう。(導くな)

もとより私は、その同性間の恋愛を描いた作品を嗜む種族の人間(何かしらカッコつけようと必死ですな)なので、読む前と読んでいる最中の五合目くらいまでは、『いーじゃねーか別に減るもんじゃなし!』と驚きの腐感想を持っていたのですが。

物語終盤、命の危機に晒され、捨て鉢になった二人が暗闇の中で抱き合っているとき。
思い詰めた諸戸さんが箕浦に死に物狂いの愛を告げ、受け入れてくれと涙ながらに頼みます。それこそ恥も外聞もかなぐり捨てて。
けれど箕浦は突き放します。拒みます否みます。

何故なら、諸戸が男性=同性だからです。

この部分を、箕浦は『同類憎悪』と表します。この単語が目に入ったとき、『ああ』とうっすら理解してしまいました。
それに加えて、作中に出てくるシャム双生児・秀ちゃん(女性)が片割れの吉ちゃん(男性)から執拗に求愛(っていうか性的嫌がらせ)され、嫌で仕方無いという下りも箕浦の拒否する気持ちへの理解を手助けしています。
嫌いな相手からの求愛は、嫌悪の対象でしかない。
という、残酷で揺るぎない事実。
箕浦は諸戸が嫌いというわけではない。けれどあくまで友人として。
思えば、諸戸と疑似恋愛っぽい雰囲気になったときも、必ず『どちらかが異性になったような』という前提付きでした。
つまり箕浦はドノンケなわけです。諸戸よ、相 手 が 悪 か っ た。

だけどあの痛切なる告白を『異様な愛慾のために、本当は助かるのにそうじゃないフリをしている』と言うのは酷過ぎる。
髪の毛が真っ白になるほど嫌だったとはいえ。
諸戸よ、お前さんアイツのどこが良いんだ。第二の犠牲者・深山木まで弄ぶ(その自覚がある)ような奴だぞ。亡き婚約者を一生の人とか言っておきながら結構早いうちに別の女に……そう言う意味でも相手が(略)。

そんな箕浦のご無体は最後まで続きます。
最終章、髪の毛以外は無事に孤島を脱出して、嫁と財宝をゲットし、箕浦はたくさんの可哀想な人たちを救おうとしていることを記します。
そこで、諸戸の最期が記されます。彼は病を発症し、還らぬ人となりました。
コレに対して、箕浦は『残念』と書きます。『残念』とだけ。
ありとあらゆる悲劇と凄惨な事柄を描いた小説の最終章・『大団円』。その最後の一条が、もう本当にどうしようもなく突き刺さりました。
諸戸の真実を知っているからこそ余計に。(諸戸を縛り付けていた『自らは悪魔の子』だという呪いが解け、幼い頃離れ離れになった両親とようやく再会したばかりだという背景
それと同時に、箕浦に対して一層腹が立ちました。そして悔しかった。箕浦にずっと在る、諸戸への根本的な無関心が悔しかったです。

ここまで想われていて、諸戸の深い愛情を知っているはずなのにとことん利用して飼い殺しにして、こともあろうに最終章の副題は『大団円』で『彼の死は残念だった』だけで終わりかよ! 諸戸はあんなに一途に想っていたのに!
ていうか何であの最後の二行を、よりにもよって沢山の人に読まれる予定の手記に書いたの? 何のために? ここまで赤裸々に語る必要はあったの? 諸戸の気持ちはどうなるの? 諸戸の命懸けの恋を不特定多数の目に晒して、っつーかその不特定多数の目って私の目も入ってるんだけど、 ほんのちょっとでも心が痛まなかったの? こうやって記すことがひとつの愛情の受け入れる方法だとでも? 違うよね? だって散々『恥ずかしい』『あさましい』とめったくそに言ってたじゃない! 自分が彼にこれほどまでに深く愛されていたのだと誇示したかっただけちゃうんかいこんガキャ―!

と、本気で思いました。

だけど気付きました。っていうか思い出しました。

『これは物語だった』ーーと。

腹を立てる道理などある訳も無い。諸戸のプライバシーとかどうなるんだよとか、思うのがおかしい。
いつの間にか、感情移入を通り越して、どっぷりとはまり込んでいたようです。気付かなかった。本当に。

スゲーよ江戸川乱歩
これ全部計算して書いたなら、日本探偵文学の祖の名は伊達じゃない。心して掛からないとヤバい。

真の鬼は箕浦です。(結論)
あとチョコレートの下りと、諸戸が女性嫌いになった理由の部分と、秀ちゃんが吉ちゃんから受けた仕打ちの部分は、思春期以前に読んでいたら確実にトラウマになったと思います。(死ぬほど嫌でたまらないのに体がくっついているから逃げられないとか……確かに死んだ方がマシだ

というわけで、最後は何もかもがぷつんと切れた感じになる『最後の一条』で締めくくりたいと思います。
この部分は本当に重いです。説得力が違います。この一条のためだけの物語だったのかと、錯覚さえします。
彼は、一体どんな想いで、箕浦の元を離れたのだろうか。真っ白になった箕浦の髪を見たときは、どんな……。
箕浦の元に届いた、諸戸の死亡通知状に彼の父が書き加えた一節です。




「道雄は最後の息を引き取るまぎわまで、父の名も、母の名も呼ばず、ただあなた様のお手紙を抱きしめ、あなた様のお名前のみ呼び続け申候」